「ネガティブ思考」の人が「ポジティブ思考」になるためのシンプルな考え方
ネガティブ思考、ポジティブ思考は、どちらも「記憶の引き出し」の問題
「ポジティブシンキング」「ネガティブシンキング」という言葉があります。いつも物事を肯定的にとらえ、前向きな姿勢でいる人を「ポジティブシンキング」と呼びます。反対に、何に対しても否定的で、後ろ向きな態度をとる人を「ネガティブシンキング」と呼びます。ポジでもネガでも、どちらでもなく、物事はすべて「ニュートラル」であり、前向きも後ろ向きもない、ととらえる姿勢を「ニュートラルシンキング」と呼ぶこともあります。
今回は、「ネガティブシンキング」の人を「ポジティブシンキング」にするにはどうすればいいのかを解説します。「ネガティブ」な人、「ポジティブ」な人、どちらも同じですが、「記憶の引き出し方」に偏りがあります。
仮に、「11個の良いこと」「8個の悪いこと」があったとして、「8個の悪いこと」ばかりを脳の記憶領域から引き出してばかりいれば、「悪いことばかりしかない」と思い込んでしまうもの。ネガティブシンキングになっていきます。反対に、「11個の良いこと」ばかりを記憶から引き出す人は、「良いことばかりが起こる」と受け止めます。ポジティブシンキングになっていくのです。
行動経済学の「プロスペクト理論」からすれば、「利得」より「損失」のほうが2倍以上、心理的インパクトが強いと言われます。つまり、一般的にいえば「快楽」と「苦痛」の両方を比較すれば、「苦痛」のほうがより刺激が大きく、記憶に残りやすいということなのです。つまり、「良いこと」と「悪いこと」が同数に近ければ、
「悪いことのほうが多い」
「悪いことばかり起きる」
「全然、いいことがない」
などと、ネガティブシンキングになっていくのも無理はありません。普通のことです。周りから、
「そんなことないって、いいことだってたくさんあるじゃないの」
と慰められても、
「あなたなんかに何がわかるの? いいことなんて何一つない!」
と叫びたい気持ちに駆られてしまうのです。「苦痛」に対する過剰な反応が、「記憶の引き出し方」をさらに歪めていきます。「ネガティブ」な人が「ポジティブ」な人に変わるためには、この「記憶の引き出し方」をメンテナンスしていく必要があります。
「良いこと」とは何か? 再定義してみる
そのために私がお勧めするのは、「良いこと」とは何か、をあらためて再定義してみることです。自分にとって「良いこと」とは、
● 日常の「あたりまえ」的なものよりもプラスの刺激を得られること
● 日常の「あたりまえ」的なものそれ自体
の、どちらなのでしょうか。それとも、どちらもなのでしょうか。日常における、あらゆる「あたりまえのこと」よりもプラスな刺激を得られなければ「良いこと」と言えないのであれば、常に刺激的な日常を欲するようになります。確かに、刺激的な毎日は活力を与えてくれ、素晴らしい人生をもたらしてくれるでしょう。しかし、当然のことながら「刺激的な毎日」に「マイナスの刺激」もまたつきものです。ネガティブシンキングの人に、この「マイナスな刺激」は耐えられないことでしょう。
重要なことは、いかに、日常の「あたりまえ」的なものそれ自体を、「良いこと」と受け止められるか、にかかっていると私は思います。朝起きて、毎日学校や職場へ出かけられること、ひとりでも友人がいること、普通に歩けること、呼吸ができること、いま生きていること……。それらが「良いこと」だと受け止められたら、普通の日常も「良いこと」に満ちています。感謝の念も湧き上がってきます。
物質的に豊かな国で生活を送っている人ほど、あたりまえの日常が退屈だと感じ、満足ができず、「記憶の引き出し方」に偏りが生じてきます。ネガティブシンキングとなり、精神的な問題を抱えることが多くなります。
「あたりまえ」の反意語は「ありがたい」です。
「あたりまえ」の日常に「ありがたさ」を感じなくなっていくと、ネガティブシンキングに陥ってしまうでしょう。後ろ向きな思考から脱したい人は、毎日「あたりまえ」のことをメモとして書き出し、あらためて「ありがたい」と認識することで、「記憶の引き出し方」の偏りがメンテナンスできるようになるはずです。