みずほの暴力団向け融資の放置 原因は「空気」か?
なぜ「みずほの暴力団向け融資の放置」問題は起こったのか?
みずほ銀行は30人を超える役員を一斉に処分する方針を固めました。暴力団関係者らへの融資を放置していた事を重大な問題として捉えた結果です。佐藤康博頭取は半年間無報酬とし、塚本隆史会長は辞任する公算が大きいとされています。
それにしてもメガバンクの経営トップが、これほど深刻な過ちを犯してしまったのはなぜでしょうか。今回の事案は、第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行の「三行統合」の影響があるのではないか等、いろいろな憶測が広がっていますが、他にも、政府や自治体、企業における不祥事は絶えません。客観的に見れば、「いくらなんでも、それはダメでしょう」と誰もが感じるであろうことさえ、正しい意思決定や判断ができなかったりするものです。
一因に「空気」がある。
今回の「みずほ暴力団向け融資」の事案に代表されるような不祥事の背景に、私は「場の空気」があると受け止めています。日本人は経済合理性に基づいた意思決定よりも「場の空気」によって判断基準が左右される傾向が強いと言われています。空気を読める人が出世し、空気の読めない人が煙たがれる風潮は、歴史の長い組織において顕著です。
山本七平の名著「空気の研究」で著者は、「場の空気」のことを『臨在感的把握』と名づけています。「場の空気」が人々を規制し、一定のパターンの行動をとらせる、と。「論理・データ」よりも「空気」が勝つ場合は、「空気」は絶対的拘束・絶対の権威として驚くべき力を振っている、ともしています。したがって、何か不祥事が起きるたびに私たちは、
「あのとき何も反論できなかったのは、あの場の空気からして、致し方なかった」
「あの場で、何か意見を言える雰囲気ではなかった」
と、このような弁解を聞くはめとなるのです。
個人であれば常識的でかつ論理的な意思決定ができるにもかかわらず、独特の空気感を醸成してきた組織になると、その感覚はますます世間の空気とかけ離れ、歪んでいく場合があります。
「空気」を変えるためには、その空気に浸かってきた人に理論武装や能力開発をさせるのではなく、
1)外部の人材の登用(しかるべきポジションに)
2)外部の人材で構成した諮問機関・監査部門の設置
が不可欠でしょう。
ゆっくりとした時間の流れで作り上げられた「空気」を変えるためには、外部機関におけるインパクトのある施策か、淀んだ空気が作り上げられた時間と同じ程度の時間をかけた「空気の入れ替え作業」が必要と考えます。人が変わっても、新たな制度が構築されても「空気」が変わらなければ意味がないからです。