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豊臣方と徳川方との和睦の決裂後、世上で起こったさまざまな怪異現象とは

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
伊勢神宮の外宮。(写真:イメージマート)

 大河ドラマ「どうする家康」では、豊臣方と徳川方との和睦が決裂し、大坂夏の陣が迫る模様が描かれていた。当時、こうした政治状況は人々の間に噂として広まり、それを憂えるかのように怪異現象が起こっていた。大河ドラマではスルーされたが、その状況を取り上げることにしよう。

 慶長19年(1614)から翌20年(1615)にかけて、豊臣方と徳川方の和睦交渉がまとまったものの、大坂城に再び牢人衆が集まるなどし、不穏な空気が漂った。人々の間には、「また豊臣方と徳川方が戦争するのか」との噂が流れ、不安と恐怖のムードが漂っていた。

 そのようなこともあって、巷間では不思議な現象が見られた。伊勢神宮では「再び徳川方と豊臣方の合戦が起こる」との託宣があったとか、天空を東から西へ光る物体(彗星か?)が飛来したとか、比叡山に天狗があらわれた、などの怪異現象がそれである。

 今のように科学的な天文学が発達していなかったので、彗星があらわれたことに人々は恐怖した。天狗が実在しないことは承知していたであろうが、そういう妙な噂が流れたのである。

 むろん、それらは事実無根の噂話にすぎないが、人々は徳川方と豊臣方との不穏な噂を察知し、戦争再開の恐怖に怯えていたのかもしれない。それは、現在でも同じことで、世上が不安になると、人々の間ではデマが飛び交い、余計に恐怖心をあおるようなものである。

 慶長20年(1615)3月になると、人々の間で「伊勢躍(踊)」が大流行したという。ただ、どのような踊りなのかは不明である。近世以降になると、伊勢参りが大流行した。その際、参向する人々は神輿のようにして鍬形のご神体を担ぎ、踊りながら村から村へと送り渡していった。

 幕末になると、「ええじゃないか」という神符の降下を機にして、東海、近畿地方を中心に熱狂的乱舞を伴う民衆運動が起こったが、それと類似したような熱狂ぶりだったと考えられる。

 『山本豊久私記』によると、伊勢躍は伊勢神宮の宣託であると称して、禰宜(ねぎ)が先にお祓いをしつつ、伊勢から奥州まで向かったという。『駿府記』には、同じ現象が駿府で起こったことが書かれている。

 禰宜と称する者が唐人に依頼して花火を飛ばし、これによりようやく伊勢躍を制することができたと記している。もはや、民衆の力を制御することすら、困難になっていたのである。

 伊勢躍が人々の不安な気持ちから突如として沸き起こり、その熱狂ぶりは奥州まで向かうという凄まじいエネルギーだった。その一方で、豊臣方と徳川方との戦争再開は、刻一刻と近づいていたのである。

主要参考文献

渡邊大門『誤解だらけの徳川家康』(幻冬舎新書、2022年)

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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