【深掘り「どうする家康」】青年期の松平元康は、今川義元も上杉謙信もビックリする将来性を秘めていた
大河ドラマ「どうする家康」では、松平元康が非常に頼りない印象を受ける。今回は、今川義元も上杉謙信もビックリした青年期の元康について、深掘りすることにしよう。
松平元康は15歳になると、今川義元が領していた駿府で元服した。その際、義元から「元」の字を授けられ、元信となった(以下、元康で統一)。義元が元康に諱(いみな)の一字を授けたので、両者の関係はいっそう強固になったといえる。
元服後、義元は元康に「今年から本領のある岡崎(愛知県岡崎市)に戻り、支配を行ったらよいだろう」と述べた。すると、元康は次のように答えたという。
幼い頃から義元さまのお世話になり、また岡崎への帰還をお勧めになっていただき、一方ならぬご厚誼に感謝いたします。ご指示のとおり岡崎に帰りますが、まだ若輩ですので、二の丸にいるようにいたします。今までどおり、本丸には山田新左衛門様を置いていただき、ご指導を賜りたいと存じます。
この言葉を聞いた義元は非常に感心し、家臣に次のように述べたという。
元康はとても若輩とは思えず、生まれつき分別のある人物だ。成長すれば、どのような人物になるのか想像すらつかない。元康が氏真(義元の子)の良き味方になると思うと、私は満足だ。亡き広忠殿(元康の父)が生きていたなら、さぞお喜びになったことだろう。
元康の噂は、遠く越後の上杉謙信の耳にも入っていた。そして、謙信は家臣に対して次のように述べ、大いに感嘆したという。
元康がまだ15歳にして、このような知恵があるのは、まさしく「後世畏るべし」と言えよう。将来は稀代の名将となるに違いない。
このエピソードは、19世紀に成立した逸話集の『名将言行録』(岡谷繁実著)に書かれている。残念なことに、このエピソードを裏付ける確実な根拠はない。家康を賞賛すべく、繁実が創作した単なる逸話に過ぎないと考えられる。