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【深掘り「どうする家康」】織田信長は黒のマントを身にまとい、ワインを堪能していたのか

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
織田信長。(写真:イメージマート)

 NHK大河ドラマ「どうする家康」では、南蛮胴に身を包み、マントを着用した織田信長が登場する。それは事実なのか、詳しく解説することにしたい。

 織田信長といえば、南蛮胴と黒のマントを身にまとい、ワインを堪能している姿を思い浮かべる人が多いのではないだろうか。これまでの大河ドラマでは、主役や脇役で何度も信長が登場したが、黒のマントを着用した姿は、すっかりお馴染みになったといえよう。

 南蛮胴と黒のマントを着用した信長といえば、映画「影武者」(1980年公開)における隆大介さんが有名である。この映画がきっかけとなり、テレビや映画に登場する信長は、おおむね南蛮胴と黒のマントを身にまとうことになった。

 ところが、信長が南蛮胴と黒のマントを着用した姿を描いた画像は残っていない。記録ももちろん残っていない。ましてや、信長がワインを飲んだというのも単なる思い込みで、裏付ける史料はないのである。

 そもそも南蛮胴とは、ヨーロッパから輸入された甲冑を日本式に改造したもので、それは兜も同じである。やがて、輸入に頼ることなく、国産で南蛮胴が製造されるようになった。

 現存する南蛮胴としては、日光東照宮(栃木県日光市)が所蔵する「徳川家康所用南蛮胴具足(重要文化財)」が有名であり、東京国立博物館が所蔵する榊原康政所用、伝明智光春所用のものが知られている。では、いつ頃、南蛮胴は日本にもたらされたのだろうか。

 記録上で南蛮胴がもたらされたのは1588年のことで、ポルトガル領ゴアのインド副王(総督)が豊臣秀吉に送った目録で確認できる。しかし、これは目録に記載されているだけで、現物の南蛮胴が残っているわけではない。また、秀吉が南蛮胴を着用した事実も認められない。

 したがって、あくまで文献上とはいえ、信長の死後に南蛮胴と黒のマントが伝わったのだから、着用した可能性は極めて低い。それは、映画、テレビあるいはマンガの世界の話であって、明確な根拠があるわけではない。

 南蛮胴が日本に伝わり、流行するのは16世紀の終わり以降の話である。信長が南蛮胴と黒のマントを身につけて、ワインを飲むという描き方は、そろそろ見直されるべきだろう。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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