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【深掘り「鎌倉殿の13人」】北条義時の後妻「のえ」はズボラで、裏の顔がある女性だったのか

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
「のえ」を演じる菊地凛子さん。(写真:Shutterstock/アフロ)

 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、北条義時の後妻「のえ」に注目である。「のえ」は、ズボラな女性だったのか、詳しく掘り下げてみよう。

■ドラマのなかの「のえ」

 北条義時の妻「のえ」を演じるのは、菊地凛子さんである。菊地さんの代表作は、映画「バベル」(2006年)で数々の賞を受賞した。日本を代表する女優の一人だ。

 義時は「のえ」と初対面の際、実に好印象を持った。さわやかな笑顔と気遣いをするなど、「できる女性」である。義時が「のえ」にキノコを贈ると、無邪気に喜んでいた。こうして「のえ」は、がっちりと義時のハートをつかんだのである。

 とはいえ、今回、菊地さんが演じる「のえ」は、いささか「ズボラ」である。義時の子・泰時は、「のえ」の裏の顔を知って心配する始末である。三浦義村でさえも、「のえ」のズボラぶりをしっかりと確認していた。いや、ズボラでもあり、裏の顔があった。厄介な女性である。

■「のえ」のこと

 「のえ」が義時と結婚したのは、建仁3年(1203)9月に勃発した比企の乱である。当時、義時の妻は姫の前だったが、彼女が比企朝宗の娘だったので離婚した。そこで、義時は「のえ」を妻として迎えたのだ。

 「のえ」は生没年不詳であり、一般的には「伊賀の方」と称されている。「のえ」の父は伊賀朝光で、兄弟には光季、光宗などがいた。朝光は伊賀守に任じられたので、伊賀氏を称したといわれている。

 建仁3年(1203)の比企の乱でも、朝光は北条方に味方して大いに軍功を挙げた。朝光は娘を義時の妻にすることで幕府での存在感を示し、子の光季、光宗も、義時の外戚として重用された。

■まとめ

 「のえ」は元久2年(1205年)6月22日に政村を、承元2年(1208年)に実泰を出産した。しかし、その人柄については不詳である。ドラマのような女性だったのか、確認できない。

 『吾妻鏡』を一覧しても、目立ったエピソードはない。貞応3年(1224年)7月に伊賀氏の変が勃発し、伊賀氏は失脚。「のえ」も流罪となった。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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