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【深掘り「鎌倉殿の13人」】北条泰時が飢饉で困窮した農民を助けたという話

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
善政を行った北条泰時。(提供:イメージマート)

 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の29回目では、北条泰時が飢饉で困窮した農民を助けていた。この話について、詳しく掘り下げてみよう。

■伊豆を台風が襲う

 建仁元年(1201)8月、伊豆方面を台風が襲った。台風は2度にわたって伊豆などに襲来し、その影響で作物の収穫が十分でなかったという。蔵に備蓄した作物も尽きた。

 天候不順は決して伊豆だけでなく、全国各地を襲ったことが記録されている。それは台風だけでなく、洪水などを伴なったものだった。その被害は甚大で、人々は家を失い、食糧にも事欠くありさまだった。

 北条泰時は飢饉という難局に対して、いかに対応したのか、『吾妻鏡』の記録から確認することにしよう。

■北条泰時の伊豆下向

 同年10月2日、泰時は伊豆国北条(静岡県伊豆の国市)に下向した。泰時が伊豆に下向したのは、頼家が蹴鞠三昧なのを諌言して機嫌を損ねたので、冷却期間を置いたからだった。

 北条の地もご多分に漏れず、悪天候の影響をもろに受けていた。実は前年の春頃から窮乏しており、十分に田畠を耕作することができなかった。そこに当年秋の台風で大打撃だったのだ。

 農民らは窮乏時に50石の米を借用しており、返済の時期が迫っていた。ところが、秋の台風で収穫が十分にできず、もはや米を返すどころか、餓死寸前という危機的な状況に陥っていた。

■泰時の決断

 借りた米を返すことができず、もはや農民は困り果て、慣れ親しんだ土地から逃げ出すよりほかはなかった。この話を聞いた泰時は、しばし熟考した。

 泰時は数十人の農民を前にして、米を借りたことを示す証文を破り捨て、「もう米を返す必要はない」と宣言した。それどころか農民に対し、酒や飯を振舞い、1人につき1斗の米を与えたのである。

 農民はたいそう喜び、涙ながらに米を受け取って、家路についたという。そして、皆が手を合わせて、北条氏の末永い繁栄を祈念したというのである。

■まとめ

 伊豆をはじめ、日本国内の多くの場所が台風などの被害を被ったのは史実である。しかし、『吾妻鏡』は泰時を賛美する傾向にあるので、農民に借米の返済を求めず、逆に米を振舞ったという逸話は、史実か否か検討を要する。単なる創作の可能性すらある。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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