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【戦国こぼれ話】荒木村重が織田信長に反旗を翻した単純明快な理由

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
織田信長は荒木村重が謀反を起こしたので、非常に驚いた。(提供:イメージマート)

 直木賞を受賞した『黒牢城』が注目されている。ところで、荒木村重は突如として織田信長に反旗を翻したが、その理由はいかなるところにあったのか、考えることにしよう。

 なお、村重が官兵衛を土牢に幽閉した件は、こちらを参照。

■村重の謀反の理由

 荒木村重はもと摂津・池田氏の配下にあったが、やがて織田信長に登用されて摂津国を支配するなど、全幅の信頼を得た。その居城が有岡城(兵庫県伊丹市)だ。とはいえ、村重は信長の新参家臣だった。

 ところが、天正6年(1578)10月、村重が信長に謀反を起こす。村重が信長に反旗を翻した理由は、おおむね以下のとおり整理されている。

①足利義昭と大坂本願寺の要請により、信長への謀反を決意した。

②村重の家臣が大坂本願寺に兵糧を横流ししており、その発覚を恐れて信長への謀反を決意した。

③信長の家臣・長谷川秀一が村重に小便を掛けたので、その恥辱に耐えられず信長への謀反を決意した。

④信長から剣先に付けた餅を食うよう迫られ、その恥辱に耐えられず信長への謀反を決意した。

⑤羽柴(豊臣)秀吉らに後れを取り、このままではまずいと考え、信長への謀反を決意した。

⑥摂津の国衆や農民の意向を汲み、大坂本願寺に与したほうが良いと判断し、信長への謀反を決意した。

■どの説が有力なのか

 6つの説を取り上げたが、どの説が有力なのか考えてみよう。まず、②については、信頼度の落ちる史料に書かれていることで、にわかに信が置けない。

 ③④についても同様に、信頼度が落ちる史料に書かれた荒唐無稽な話であり、とても信用することができない。③に関しては、竹中半兵衛が主人の斎藤氏の家臣から小便を掛けられた話、④については信長による明智光秀へのいじめの話など似たような話があり、いずれも信用できない。

 ⑤については、もっともらしく聞こえ、かつ出世争いはビジネス誌が好むような理由である。しかし、村重は信長から信頼されており、重要な合戦にも動員されていたのだから、この説は当たらない。

 ⑥は最近になって有力視されているが、本当に地域社会における暴動を恐れたのかなど、検討すべき点は多い。率直なところ、賛同し難い側面がある。

■理由は単純なこと

 結論としては信長に従うよりも、毛利氏に与したほうが自分を生かせると判断し、一か八かの賭けに出たということが有力視されている。つまり、①の理由である。もう少し詳しく見ておこう。

 本願寺光佐が村重・村次父子に宛てた起請文には、村重の新知行については、毛利氏に庇護されている将軍・足利義昭に従うよう書かれている(「京都大学所蔵文書」)。

 村重は早い段階から謀反を検討しており、織田氏・毛利氏との間で二股を掛けていた。

 この前後、丹波八上城(兵庫県丹波篠山市)主・波多野秀治、播磨三木城(兵庫県三木市)主・別所長治らが相次いで信長に反旗を翻した。いずれも義昭や大坂本願寺らの要請によるものである。

 高槻城主(大阪府高槻市)の高山右近や茨木城主(大阪府茨木市)の中川清秀ら村重の与力大名は、当初の段階で村重に従う意向を示していた。

 本願寺・毛利氏・足利将軍家に加えて、摂津国内の助力を得られることから、村重は謀反を決意したと考えられる。つまり、十分な事前準備と総合的な判断ということになろう。

■謀反の経過

 同年10月21日、村重の逆心が方々から信長の耳に入った(『信長公記』)。

 おかしいと思った信長は「不足があるならば申してみよ、村重に考えがあるならばそのように申し付けよう」と述べ、松井友閑らを村重のもとに遣わせた。そのとき村重は「野心などございません」と返答した。

 そこで、信長は人質として村重の母を差し出すことを条件にして、これまでどおりの出仕を認めたが、村重の謀反の気持ちは変わらなかった。

 信長が村重の謀反を止めさせようと考えたのは、敵対する本願寺、毛利氏、足利義昭の勢力に弾みを付けさせないためだった。

 三木城主・別所長治との戦いもはじまったばかりで、その後の苦戦が憂慮された。端的にいうならば、村重の謀反は畿内から中国方面の勢力図を大きく塗り替えることになったのだ。

■むすび

 村重の謀反については、昔からさまざまな説が提起されてきた。荒唐無稽で信じ難い説もあった。常識的に考えるならば、村重は畿内の政治情勢を分析し、そのうえで「信長に利なし」と判断したと考えるべきである。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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