【深読み「鎌倉殿の13人」】ぜひ行ってみたい。大河ドラマゆかりの伊豆の関連史跡4選
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、伊豆が舞台となっている。今回はドラマの舞台となった、大河ドラマゆかりの伊豆の関連史跡を紹介することにしよう。
■蛭ヶ島公園(伊豆の国市四日町)
源頼朝が配流された地は、蛭ヶ島公園として整備されている。当時の蛭ヶ島は、狩野川の中州あるいは湿田の中の微高地で、島ではなかったことに注意してほしい。
平治元年(1159)の平治の乱で源義朝が敗北すると、子の頼朝は蛭ヶ小島に流罪となった。永暦元年(1160)の14歳から治承4年(1180)8月に挙兵する34歳までの間、頼朝は20年間を蛭ヶ小島で過ごした。
地元には、頼朝と伊東祐親の娘・八重姫との恋の逸話、頼朝と北条政子との結婚にまつわる逸話のほか、箱根・伊豆山・三島の三社詣、天城山で頼朝が巻狩りを行った逸話などの伝承も残っている。
平成16年(2004)3月18日、蛭ヶ島周辺の公園が整備され、記念として頼朝と政子が寄り添って立つブロンズ像「蛭ケ島の夫婦(ふたり)」が設置された。
■香山寺(伊豆の国市韮山)
香山寺は、伊豆国目代・山木兼隆が建立した臨済宗の寺院である。もともと兼隆は検非違使を務めていたが、父の訴えにより伊豆国山木郷に流罪となった。
治承4年(1180)、兼隆は平氏政権下で伊豆国司を務めていた平時忠の目代となり、伊豆に流された源頼朝の監視役を務めた。しかし、同じ年に源頼朝が挙兵すると、佐々木盛綱と加藤景廉に討ち取られた。
兼隆は北条時政と約束し、北条政子と結婚する予定だったというが、兼隆が伊豆国の目代となったのは治承4年(1180)である。すでに頼朝と政子は結婚しており、長女・大姫が誕生していたので誤りである。
■北条政子産湯の地(伊豆の国市寺家)
保元2年(1157)、北条政子は初代執権となった時政の長女として、この付近で誕生したという。のちに、政子は頼朝の妻になった女性である。
政子が誕生した際、産湯の水をとったのが、この井戸であると地元に伝わっている。守山北麓の周囲には、今も北条氏の屋敷跡が残り、発掘が行われるなどし整備されている。
この井戸の水は政子の産湯の水をとったので、かつては妊婦が安産の効能があるとして飲んでいたこともあった。昭和33年(1958)の狩野川台風で、この付近の地域が大きな被害を受けたとき、井戸の水は住民の飲料水として利用された。
■北条氏館跡(伊豆の国市寺家)
鎌倉幕府の執権を務めていた北条氏の館(北条氏邸)は、静岡県伊豆の国市にその跡が残っており、現在は国指定史跡である。
北条氏の本拠地だった北条氏邸跡は守山に位置し、鎌倉時代には「伊豆北條」と称されていた。守山の北西側には館が建てられ、東側に氏寺の願成就院が建築された。
平成4・5年(1992・93)の両年にわたって、北条氏邸の発掘調査が行われた。発掘の結果、北条氏邸から平安時代末から鎌倉時代にかけて、大量の遺物が見つかった。
それだけでなく、ほかの遺跡で例がないほどのおびただしい量の中国産の陶磁器片が発見された。これにより、北条氏が単なる「伊豆の小豪族」とはいえなくなったのである。
■むすび
今回紹介したのは、ほんのわずかな史跡にすぎない。ほかにも大河ドラマ関連史跡は多数あるので、折に触れて紹介することにしよう。コロナが落ち着いたら、ぜひ訪ねてほしい。