いよいよ東京オリンピックが開幕。コロナの影響もあって波乱含みだが、見守ることにしたい。ところで、中世を生きた人々のなかには、運動神経抜群の人がいた。彼らの得意種目をオリンピック種目と対比させながら、考えることにしよう。

■フェンシング(剣術)・宮本武蔵

 宮本武蔵(1584~1645)は剣術の名人として知られているが、その生涯の大半は不明であり、晩年のわずかな時期の動向しかわかっていない。

 武蔵は13歳で初めて有馬喜兵衛と戦って勝ち、以後、60数回の戦いに挑んだが、負けたことがないという。巌流島での佐々木小次郎との名勝負は、あまりに有名である。

 武蔵が小次郎に勝利した模様は、「岩流三尺の白刃を手にして来り(略)武蔵、木刀の一撃を以て之を殺す。電光猶ほ遅きが如し」と書かれたほどだ(『小倉碑文』)。武蔵がオリンピックに出場すれば、間違いなく金メダルを取るに違いない。

■馬術・徳川家康

 徳川家康(1543~1616)は、意外にも馬術の名人で、大坪流の馬術を学んでいた。大坪流とは、室町時代に成立した古典馬術の流派である。その奥義は、現代の馬術に通じる「人馬一体」を説くものだった。

 馬術競技では人馬一体となり、馬場馬術、障害飛越、総合馬術の3種目で競った。家康は馬上で槍や刀を振りかざし、自由自在に馬を操ったのだから、オリンピックでは間違いなく金メダルを取ったことだろう。

■アーチェリー(弓)・那須与一

 那須与一(生没年不詳)は、弓の名人として『平家物語』に有名な逸話が残されている。文治元年(1185)の屋島合戦において、与一は平家の船に立てられた扇の的を馬上から見事に射止めた(残念ながら距離は不明)。

 アーチェリーは最長で90m先の的を狙うが、的は固定されている。与一は船上で揺れる的を正確に射抜いたのだから、オリンピックでは金メダルが確実だったに違いない。

■セーリング・村上水軍

 村上水軍は瀬戸内海で活躍した水軍で、伊予能島、同来島、備後因島の3家がある。周知のとおり、瀬戸内海は海流が荒く、潮目を読んで船を運航する必要があった。彼らは、まさしくその名手だった。

 なお、彼らが通行料を徴収したのは、船を安全に目的地に案内するため。決して私利私欲ではない。もし、村上水軍が現在にも存在したならば、間違いなくセーリングで金メダルを獲得したかもしれない。 

■ウエイトリフティング・弥助

 弥助(生没年不詳)はアフリカの黒人奴隷で、宣教師とともに日本を訪れ、織田信長に仕えた。その怪力ぶりについては、『信長公記』に「その身の黒き事、牛のごとく、かの男健やかに器量なり。しかも強力十の人に勝たり」と書かれている。こんな男がいたら、間違いなくウエイトリフティングで金メダルだろう。

■射撃・遠藤秀清、俊通兄弟

 遠藤秀清(?~1604)、俊通(?~1619)兄弟は宇喜多氏の家臣で、備中の武将・三村家親暗殺の密命を受け、遠距離からの銃殺に成功した逸話がある。まるで、「ゴルゴ13」のようなスナイパーだ。

 射撃では50m先の的を狙うが、銃は戦国時代より性能が良い。戦国時代の火縄銃は、現在の銃よりも性能が劣っていたので、遠藤兄弟は間違いなくオリンピックの射撃で金メダルを取るだろう。

【番外編】サッカー(蹴鞠)・飛鳥井家

 公家の飛鳥井家は、蹴鞠の名手の家柄である。蹴鞠は革製の鞠を落下させぬよう、蹴り上げた回数を競うもの。今で言うならば、サッカーのリフティングか。しかし、リフティングはサッカーそのものではないので、金メダルは難しいだろう。

◎まとめ

 このように各武将らの能力については虚実入り混じっている面もあるが、妄想をめぐらしてみるとおもしろい。東京オリンピックについては、いろいろと言われているが、とにかく選手には罪がないので応援しよう。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】