【先取り「鎌倉殿の13人」】早くも話題沸騰。「鎌倉殿の13人」の主人公・北条義時とは何者なのか

北条氏は伊豆の豪族。北条義時は源頼朝に従って台頭した。(提供:GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート)

 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は2022年に放映されるが、順次キャストが発表されるなど、大きな話題になっている。ドラマで主人公となる北条義時とは、いったいいかなる人物なのだろうか。

 主人公を演じるのは、小栗旬さん。大河ドラマは初出演の「八代将軍吉宗」以降、これまで計7本に出演しており、もはやベテランに域に達している。昭和54年(1979)の「草燃える」では、松平健さんが北条義時役を熱演したので、小栗さんにも大いに期待したい。

■北条氏のこと

 北条氏は桓武平氏(平貞盛の曾孫・直方)の流れを汲む、伊豆国田方郡北条(静岡県伊豆の国市)を本拠とした豪族である。関東各地には、清和源氏や桓武平氏を祖とする豪族が盤踞していたが、北条氏もその一人だった。

 北条氏が台頭するきっかけは、平安時代の北条時政の頃である。平治の乱で敗れた源頼朝が伊豆に流されると、頼朝は時政の娘・政子を妻として迎えた。以降、時政は頼朝に従って、打倒平氏に尽力したのである。むろん、義時も頼朝の配下として従った。

 頼朝が平氏を壇ノ浦で滅亡に追い込んだのは、文治元年(1185)3月のことである。文治5年(1189)には奥州藤原氏を滅ぼすなどし、頼朝はさらに威勢を広げた。建久3年(1192)、頼朝は征夷大将軍になり、名実ともに武家の棟梁になった。

 なお、かつて鎌倉幕府の成立年については、長らく頼朝が征夷大将軍になった建久3年(1192)とされてきた。近年はその点が変わり、頼朝が守護・地頭の任命を許可された、文治元年(1185)が教科書にも採用されている。

■北条義時の登場

 こうした動乱の時代の幕開けの長寛元年(1163)、義時は時政の次男として誕生した。長男は宗時だったが、治承4年(1180)に頼朝が挙兵した際、石橋山の戦いで戦死した。義時は北条家を継ぐ運命にあった。

 以後、義時は頼朝に重用され、建久元年(1190)に頼朝が上洛した際にも付き従った。頼朝から暑い信頼を得ていたのである。頼朝死後の正治元年(1199)には、頼朝の子・頼家(2代将軍)を支える「13人の御家人」の1人になった。

 大河ドラマのタイトルの一部でもある「13人の御家人」とは、大江広元、三善康信、中原親義、北条時政、北条義時、三浦義澄、和田義盛、比企能員、梶原景時、八田知家、安達盛長、足立遠元、二階堂行政で、いずれも草創期の幕府を支えた面々である。

■威勢を増した義時

 その後、義時はライバルとなる有力な御家人を退けるなどし、幕府内に大きな存在感を示した。しかし、やがて政治路線をめぐって、父の時政との関係が悪化していった。時政は、ついに娘婿の平賀朝雅を将軍に擁立しようと画策する。

 元久2年(1205)、義時は畠山重忠を追討した際、姉政子の協力を得て、時政、その妻牧の方、平賀朝雅を退けることに成功した。これにより、時政は引退を余儀なくされ、義時の存在感が強く増したのである。

 承久元年(1219)1月、3代将軍の実朝が甥の公暁によって暗殺された。その結果、源氏の正統は絶えたものの、義時は幕府における地位を確固たるものにしたのである。実朝の後継者には、京都から九条道家の三男・三寅(藤原頼経)を迎えた。

 承久3年(1221)5月、後鳥羽上皇らが倒幕の兵を挙げた。この動きに対して、義時はただちに朝廷との戦いを決意し、兵を京都に送り込んだ。その結果、朝廷は降伏し、後鳥羽上皇らは流罪となったのである。こうして幕府は、東国の御家人を没収した所領3000余か所の地頭とした。

 以上のように、義時は鎌倉幕府成立の立役者であり、同時にその発展に貢献した人物である。小栗さんがどのように演じるのか、今から楽しみである。