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【戦国こぼれ話】戦国最強の剣豪だった宮本武蔵。関ヶ原合戦では東西両軍のいずれに与したのか

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
(提供:アフロ)

 宮本武蔵ゆかりの地である岡山県美作市では、正子公也さんが大型トラックに描いた武蔵などが話題となった。武蔵は謎多き人物でもあるが、関ヶ原合戦では東西両軍のいずれに与したのだろうか。

■宮本武蔵とは

 宮本武蔵の出自に関しては不明な点が多く、播磨説と美作説が有力とされている。しかも、その生涯はたしかな史料での裏付けが困難であり、特に前半生についてはわからないことが多い。

 武蔵が誕生したのは天正12年(1584)と推測されており、養父は無二斎という人物だった。青少年期からの武勇伝はあまりに有名であるが、生涯を通じて大名家に仕えることがなかったという(細川家で正式な仕官ではなく客分扱い)。いうなれば、諸国を武者修行する牢人であったといえよう。

 実は、その武蔵が関ヶ原合戦に参陣していたというのである。では、武蔵は東西両軍のいずれに与したのであろうか。

■武蔵は西軍に属した?

 武蔵研究の大家として知られる原田夢果史氏は、養父の無二斎が西軍に属した新免氏の配下にあったことから、武蔵も西軍に属したと指摘しているが、特に根拠は示していない。また、魚住孝至氏もほぼ同様の視点から、武蔵が西軍に属したとの説を採用している。ちなみに吉川英治氏の『随筆宮本武蔵』でも、武蔵は西軍に属したことになっている。

 武蔵が西軍に属したという説は、新免氏が西軍の宇喜多秀家の配下にあったことから、新免氏配下の武蔵は西軍に属したと考えている。ところが近年、福田正秀氏が従来説を批判的に検討し、武蔵東軍説を提起した。以下、福田氏の諸説に従って、武蔵が東軍に属したという説を考えてみよう。

■武蔵は東軍に属した?

 武蔵が東軍に属したという直接的な根拠は乏しく、むしろ周辺の状況証拠から固めていく必要がある。もう少し詳しく、福田氏の説をたどることにしよう。

 「慶長七年諸役人知行割」という史料がある。この史料には、黒田家の家臣の知行割が記されており、属する「組」と知行と人名が書かれている。そして、林太郎右衛門尉組に「弐千石 新目(免)右兵衛」、小河藤左衛門尉組に「三百石 新目右太夫」と記されている。

 福田氏によると、新目(免)右兵衛は新免則種であると指摘されている。また、新目右太夫は「宇兵衛」の誤記であり、そうであるならば宇兵衛は則種の嫡男であるという。この事実は、則種が下座郡に2000石を与えられ、嫡男・宇兵衛が300石を与えられたとの記述と一致する(「新免氏系譜」)。

 武蔵の養父・無二斎が仕えた新免家は、関ヶ原合戦後に福岡藩に仕えていた。それ以上に重要なのは、組外れとして「百石 新目(免)無二」の名が見えることである。この新目(免)無二とは、武蔵の養父・無二斎である。つまり、慶長7年(1602)の段階において、無二斎は福岡藩に仕えていたことが判明する。しかし、福田氏が指摘するように、これは慶長7年(1602)の段階の話であるので、無二斎が関ヶ原合戦の段階で黒田氏に仕えたことの根拠にはならない。

■黒田家の家臣の格付け

 先の史料を補う形で重要なのが、慶長9年段階の知行割を記した「慶長年中士中寺社知行書附」である。同史料のポイントは、人名の右肩に黒田家に仕えた時期がわかるように、表記がなされていることである。その区分は、次のとおりである。

 ①大御譜代――播磨時代以前の時期。

 ②古御譜代――豊前入部以前の時期(天正14年〈1586〉以前)。

 ③新参――――筑前入部以後の時期(慶長5年〈1600〉以後)。

 「慶長年中士中寺社知行書附」では、則種を「新参」とし、無二を「古御譜代」と記している。つまり、則種が黒田家に仕えたのは慶長5年(1600)以降、無二が仕えたのが天正14年(1586)以前ということになる。そうなると、関ヶ原合戦段階で無二・武蔵が仕えていたのは黒田家であり、必然的に東軍に属したということになろう。

 また、「兵法大祖武州玄信公伝来」という史料では、黒田孝高(如水)と大友吉統が戦った石垣原合戦において、武蔵が出陣したことを確認できる。同史料によると、武蔵は養父に勘当されていたが、豊前中津の無二斎を尋ね、勘当を解いてもらったという。そして、親子で出陣したというのである。

 このように考えると、福田氏が指摘するように武蔵は西軍に属したのではなく、東軍に属していたことになろう。しかも、無残に敗北を喫した「牢人・武蔵」ではなく、黒田氏に仕えた養父・無二斎とともに「正規軍」に属していたといえまいか。つまり、西軍に属して敗北し、無残な姿をさらけ出した武蔵像は、再検討されなくてはならないと考える。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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