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【「麒麟がくる」コラム】謎多き明智光秀の子供たちとは!?その真相を探る!

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
細川ガラシャの墓地。光秀の娘・ガラシャは、確実に史料に登場する。(写真:GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート)

■詳しくわからない光秀の家族

 大河ドラマ「麒麟がくる」では、光秀の親族や家族も登場している。光秀の系図については、各種伝わっており、子供のことも書かれている。しかし、その記述内容は一致せず、子供のことは不明な点が多い。系図などの二次史料に頼るのではなく、一次史料にあらわれる光秀の子供を調査するのが重要なようである。

 以下、光秀の子供たちの姿を追うことにしよう。

■光秀には何人の子供がいたのか

 光秀には妻・煕子との間に三男四女があったと書かれているが(『明智軍記』)、実際には三男三女を史料上で確認できる。ほかにも光秀には子供がいるようだが、系図等の記載だけである。

 津田宗及の『天王寺屋会記』によると、「惟任日向守(光秀)殿父子三人」とあるので、少なくとも2人の子供がいたのはたしかである。先に触れたとおり、光秀には側室がいた可能性もあり、子供たちの母を確定することができない。もう少し具体的に検討してみよう。

 嫡男とされるのが、光慶である。光慶の生年は不詳であり、永禄12年(1569)誕生説もあるが、明確な根拠はない。通説によると、仮名を「十五郎」とするが、最近では父と同じ「十兵衛」が正しいのではないかと指摘されている。

 本能寺の変の直前に催された『愛宕百韻』には、「明智十兵衛」と記されている。光秀の嫡男でありながらも、良質な史料にはほとんど登場せず、その最期すら判然としない。二次史料による、複数の説が残るにすぎない。

 このほか光秀の子としては、自然丸とその弟の二人の男子が確認できる。いずれも、その事績は詳しいことがわかっていない。

■有名な娘の玉(ガラシャ)

 次に、女子に移ってみよう。かえって女性のほうが興味深い。光秀の娘と言えば、玉(のちのガラシャ)が有名であろう。玉は、永禄6年(1563)に光秀の三女として誕生した(四女説もある)。

 天正6年(1578)に細川藤孝(幽斎)の嫡男・忠興と結婚した。この結婚から、明智氏と細川氏との深く良好な関係がうかがえる。天正10年6月の本能寺の変後も忠興と玉は夫婦関係を継続し、その後、玉はキリスト教を信仰するようになった。

 天正15年に伴天連追放令が発布されると、忠興は玉にキリスト教の棄教を迫ったが、それは拒否された。慶長5年(1600)9月の関ヶ原合戦の直前、西軍の石田三成は大坂屋敷にいた玉を人質にしようと考え襲撃した。しかし、玉は人質になることを潔しとせず、三成の申し出を拒否した。同年7月17日、キリスト教では自殺が禁止されていたので、玉は家老の小笠原秀清により殺害されたのである。

 玉は史料が豊富であるが、ほかの女子は史料が乏しい。光秀の娘の1人は、荒木村重の嫡男・村次の妻となっていた。根拠となる史料は『立入左京亮入道隆佐記』であり、「荒木新五郎(村次)は惟任日向守(光秀)むこ(婿)にて候」「まず日向守むすめ(娘)をうけとられ(受け取られ)候」と記されている。

 荒木村重が没落すると、光秀は村次から娘を引き取り、重臣の明智(三宅)秀満と再婚させたという(『陰徳太平記』)。ただし、いずれの史料も後世の編纂物である。

■津田信澄の妻になった娘

 もう一人の光秀の娘は、津田信澄の妻になっていた。信澄は織田信勝の嫡男で、信長の甥にあたる人物である。のちに津田姓を名乗った。信勝は信長にたびたび叛旗を翻したが、信澄は織田家中で厚遇されていたという。

 『多聞院日記』天正10年6月5日条には「向州(光秀)の婿」とあり、『蓮成院記録』天正10年6月12日条には「惟任(光秀)御縁辺」と書かれているので、こちらは間違いないだろう。縁辺は、結婚関係にあったことを意味する。

■まだまだ謎が多い光秀の家族

 「光秀ほどの人物の子供のことさえわからないなんて!」と感じた方も多いだろう。しかし、実際にはこうした例は珍しくなく、特に女性の場合は名前すらわからないのが圧倒的だ。光秀の子供については、不明なことがまだまだあるが、一次史料を丹念に読み込んで、基礎的な事実を掘り返すより手はないだろう。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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