Yahoo!ニュース

『らんまん』を盛り上げる「架空の人物」とは?

碓井広義メディア文化評論家
筆者撮影

連続テレビ小説『らんまん』の「高知編」が終了しました。

丁寧な物語作りのおかげで、見る側も槙野万太郎(神木隆之介)をはじめとする登場人物たちに親しみを感じるようになりました。

登場人物ということで言えば、このドラマには、主人公の万太郎以外にも魅力的な人たちがいます。

それが姉の綾(佐久間由衣)であり、番頭の息子である竹雄(志尊淳)です。

実在と架空

ご存じのように、万太郎のモデルは「実在」の植物学者、牧野富太郎です。

幕末の土佐(現在の高知県)で、大きな造り酒屋に生まれたこと。

幼い頃に両親を失い、祖母に育てられたこと。

やがて東京に出て、大好きな植物学に専念すること。

いずれも事実に基づいています。

ただし実際の牧野富太郎は一人っ子であり、綾のような姉はいませんでした。

また、牧野家で富太郎の世話をする役目の人はいたかもしれませんが、竹雄そのものではありません。

綾も竹雄も、「架空の人物」なのです。

しかし、この2人を置いたことで、このドラマはより豊かなものとなりました。

綾と竹雄の存在

明治という時代を生きる女性としての綾。

酒造りをしたくても、当時の女性にはそれが許されなかった。それでも綾は自分の夢を捨てません。

また、誰かを支えることで自分の生きる道を模索する青年、竹雄。

その誠実さは万太郎と綾の人生に大きな影響を与えます。

事実をなぞって万太郎だけを描いていたら、「恵まれた家の坊ちゃん」の閉じた話になっていたかもしれません。

万太郎、綾、竹雄という3人の成長物語であり青春物語であることで、「高知編」は物語全体の序章という意味合いを超えた、見応えのあるものになったのです。

「自分宣言」

中でも、高知編のラストで、万太郎が祖母(松坂慶子)に自分の意思を伝える場面は圧巻でした。

「わし、とびきりの才があるがよ。植物が好き、本が好き、植物の画を描くがも好き。好きゆう才が」

確かに、何かを好きであることは、それ自体が一つの才能です。

「この才は、わしが峰屋に生まれたからこそ、育ててもうたもんじゃ。ほんじゃき、わしは何者かになりたいがよ!」

老舗の造り酒屋にいても、その当主はもちろん、何者にもなれない自分。

しかし「何者かになりたい」、つまり「自分になりたい」という衝動が抑えられない万太郎。

「自我の目覚め」であり、「自分宣言」だと言っていいでしょう。

東京へ行くことを決意した万太郎は、峰屋を姉の綾に託そうとします。

ところが、親戚たちは「若い女が蔵元になる道などない」と抵抗しました。

彼らに向って万太郎が言います。

「道がのうても(無くても)進むがじゃ! わしらが道を作りますき」

植物学者という道も、既存のものではありません。自ら切り開く道です。

綾もまた、「男の身で生まれてきたらよかったのに」と自らを恨み、「どうして女ばかりがそう言われんといかんがじゃろう」と苦しんだことを告白しました。

その上で、

「けんど万太郎は、このままの私に任せると言うてくれました。大好きな酒造りに近づいてええと。ほんなら私は思う存分働きたい!」

綾の「自分宣言」です。

ドラマの「テーマ」

万太郎と綾、2人の言葉の中に、このドラマのテーマが見えてきたようです。

「好き」を大事にして生きること。

「好き」を諦めないこと。

自分の「好き」だけでなく、他者の「好き」も大切にすること。

そして、常に感謝を忘れないこと。

東京での万太郎は、ますます「好き」を形にしていくはずです。

その喜びはもちろん、待ち受ける困難や、その乗り越え方も含め、見守っていきたいと思います。

メディア文化評論家

1955年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。千葉商科大学大学院政策研究科博士課程修了。博士(政策研究)。1981年テレビマンユニオンに参加。以後20年間、ドキュメンタリーやドラマの制作を行う。代表作に「人間ドキュメント 夏目雅子物語」など。慶大助教授などを経て、2020年まで上智大学文学部新聞学科教授(メディア文化論)。著書『脚本力』(幻冬舎)、『少しぐらいの嘘は大目に―向田邦子の言葉』(新潮社)ほか。毎日新聞、日刊ゲンダイ等で放送時評やコラム、週刊新潮で書評の連載中。文化庁「芸術祭賞」審査委員(22年度)、「芸術選奨」選考審査員(18年度~20年度)。

碓井広義の最近の記事