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忘れていたのに、みんなが思い出してしまった「高市“停波”大臣」のこと

碓井広義メディア文化評論家
電波塔でもある東京スカイツリー(写真:イメージマート)

蘇る「高市“停波”大臣」

ずいぶん長い間、すっかり忘れていたのに、今回の「放送法文書」騒動の中で、みんなが思い出してしまったことがあります。

それが、高市早苗氏が総務相だった時の「停波」問題です。

放送の「政治的公平性」

2016年2月12日、総務省は、放送の“政治的公平性”について、理事懇談会に政府統一見解を提出し、公表しました。

8日の衆議院予算委員会で、高市総務大臣(当時)の問題発言があったのです。

放送事業者が、政治的な公平性を欠く放送を繰り返した場合、電波法に基づき「電波の停止」を命じる可能性について、「将来にわたって罰則規定を一切適用しないということは担保できない」と繰り返し答弁。

民主党などが、政治的公平性を巡る政府の考え方を明確に示すよう求めていました。

統一見解では、「放送法4条で規定された政治的公平性が確保されているかを判断する際には、1つの番組ではなく放送事業者の番組全体を見て判断するとした、従来からの解釈には何ら変更はない」としています。

さらに、「『1つの番組のみでも認められない場合がある』などとした高市大臣の見解は、選挙期間中などにことさらに特定の候補者のみを取り上げ、選挙の公平性に明らかに支障を及ぼすと認められる場合などといった極端な場合には、一般論として、政治的な公平性を確保しているとは認められないという考え方を示すものだ」ともしていました。

こうした解釈や判断基準については、「これまでの解釈を補充的に説明し、より明確にしたもの」と説明しています。

公明党・井上義久幹事長(当時)は、「法律の建前を繰り返し、担当大臣が発言するのは、別の効果をもたらす可能性もある。慎重であるべきではないか」と批判的に捉えていました。

また、民主党・山井和則予算委理事(当時)は、「国民の知る権利を妨げる検閲にもつながりかねない、深刻な政府統一見解が出てきた」とする考えを示していました。

「停波」は懐にある刃物

「政治的公平性」を政府が判断するという姿勢をとっており、この時の高市総務相の言う「停波」もあり得た状況でした。

懐にある刃物をチラ見させている感じであり、政府の統一見解は、高市発言に対する実質的な追認という印象だったのです。

放送法第4条は、憲法21条の「表現の自由」がベース。

誤解されていますが、報道機関に対して権力が介入する事を防ぐための規定です。

当時、政府はこの大前提を忘れていたのではないでしょうか。

政府は、権力や政権を維持するためには、あらゆる手段を使います。そのための大きなツールが放送やメディアです。

そういう意味でも、可能な限り「干渉」を受けないようにしなければなりません。メディア側は権力に対して、おかしいものはおかしいと言う立場であり、それが役目ですから。

ところが、権力に対しておかしいと言う役割を果たすメディアに対して、「停波」する権限を政府が握っている。批判を受けるかもしれない側が「免許」を押さえている。

年々、政権のメディアコントロールが強まっています。かつてであればオブラートに包んだことが、権力の表出がストレートになっています。

政権側が「自分たちが民意だ」という形でものを言い出せば、危険信号です。

メディア文化評論家

1955年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。千葉商科大学大学院政策研究科博士課程修了。博士(政策研究)。1981年テレビマンユニオンに参加。以後20年間、ドキュメンタリーやドラマの制作を行う。代表作に「人間ドキュメント 夏目雅子物語」など。慶大助教授などを経て、2020年まで上智大学文学部新聞学科教授(メディア文化論)。著書『脚本力』(幻冬舎)、『少しぐらいの嘘は大目に―向田邦子の言葉』(新潮社)ほか。毎日新聞、日刊ゲンダイ等で放送時評やコラム、週刊新潮で書評の連載中。文化庁「芸術祭賞」審査委員(22年度)、「芸術選奨」選考審査員(18年度~20年度)。

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