傑作シナリオで甦る、70年代の熱き映画『仁義なき戦い』

筆者撮影

東映『仁義なき戦い』シリーズの衝撃

現在も、平均すれば週に1度は映画館のスクリーンと向き合うのですが、最も映画館に通ったのは70年代の学生時代です。

ただし、封切りを観るのはバイト代を手にした直後のみ。普段は二番館や三番館、そして名画座が定番でした。特に、数百円で2、3本の映画を観ることができる名画座の存在は、学生には、ほんと有難かったですね。

73年に始まった東映の『仁義なき戦い』シリーズは、封切館で、まさにリアルタイムで観ています。

当時、映画館いっぱいに罵声と銃声が響き渡っていました。その迫力から、菅原文太という人は、本物のやくざじゃないかと思ったものです。いや、ほんとに(笑)。

毎回スクリーンに映し出される筆文字で、「日下部五朗(くさかべ ごろう)」という、どこか凄味のある名前も覚えてしまいました。言わずと知れた、『仁義なき戦い』などのプロデューサーです。

日下部さんは以前、『健さんと文太 映画プロデューサーの仕事論』(光文社新書)という著書の中で、こんなことを言っていました。

「プロデューサーは自分のコントロールできない監督、俳優と組んではいけない」

何より「自分の意志が通せるかどうか」が問題だというのです。そこにあるのは、映画はプロデューサーが作るものだ、という自負と自信でしょう。

「(高倉)健さんが制服の男とすれば、さしずめ(菅原)文太は普段着の男だ」といった言い方も、伝説のプロデューサーである日下部さんにしかできないと思います。

そんな『仁義なき戦い』が、つい最近、シナリオの形で甦りました。『笠原和夫傑作選 第二巻 仁義なき戦い 実録映画篇』(国書刊行会)が出版されたのです。

脚本家・笠原和夫と『仁義なき戦い』

シナリオ(脚本)は、映画の設計図であり海図です。制作側も出演者も、そこに書かれた物語と人物像を掘り下げ、肉付けしながら完成というゴールを目指すからです。

『仁義なき戦い』は、脚本家・笠原和夫さんの代表作ですが、深作欣二監督、俳優の菅原文太さんや松方弘樹さんにとっての代表作でもあります。

この作品は、それまで約10年にわたって人気を得ていた「任侠映画」に代わる、「実録やくざ映画」という新ジャンルの出現でした。

このシナリオ集には『仁義なき戦い』、『同・広島死闘篇』、『同・代理戦争』、『同・頂上作戦』のシリーズ4作をはじめ、名作『県警対組織暴力』や未映画化作品の『沖縄進撃作戦』(映画で観てみたかったなあ)、『実録・共産党』などが収められています。

特に第1作の『仁義なき戦い』は、今、こうしてシナリオで読んでもスクリーンの熱気が伝わってくるのが凄いです。

いや、逆ですね。シナリオに込めた笠原さんの気迫が、あの熱い作品を生んだのでした。テンポのいい場面展開。人物たちの動きがよくわかる簡潔な「ト書き」。そして強い印象を残した名セリフがそこにあります。

たとえば、若衆頭の坂井鉄也(松方)が、ふがいないくせに威厳だけは保とうとする組長、山守義雄(金子信雄)を叱りつけます。

「あんたは初めからわしらが担いどる神輿じゃないの。組がここまでなるのに、誰が血流しとるんや。神輿が勝手に歩けるいうんなら歩いてみないや、のう!」

また映画の終盤。坂井の葬儀に現われた主人公の広能昌三(菅原)が、祭壇に向かって銃弾を放ちます。それを意地で一喝する山守に、拳銃を持ったまま振りかえった広能が静かに言うのです。

「山守さん……弾はまだ残っとるがよう……」

公開の翌年、作家の小林信彦さんが『キネマ旬報』に寄稿した、「『仁義なき戦い』スクラップブック」という文章があります。

その中で、「実録とは人間喜劇」という笠原さんの言葉を引きながら、この映画の面白い部分は「裏切りが続出し、だれがどっち側か分からぬ」ところにあると喝破していました。さすが小林さんです。

ふだん、多くの人にとって、シナリオを読む機会はそうあるもんじゃありません。しかし、一度読んでみると、映画館やDVDでは気が付かなかった、たくさんの発見をしたり、新たな感動を味わったりすることができます。

そう。シナリオは、もう一つの映画体験なのです。