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ミステリの女王「アガサ・クリスティ」原作のスペシャルドラマ3本を振りかえる

碓井広義メディア文化評論家
(写真:アフロ)

野村萬斎主演「黒井戸殺し」(フジテレビ系)

今月14日に、野村萬斎主演のスペシャルドラマ「黒井戸殺し」(フジテレビ系)が放送されました。ドラマの原作は、“ミステリの女王”アガサ・クリスティの長編小説「アクロイド殺し」です。

クリスティがこの作品を発表したのは90年以上前の1926年でしたが、そこで使われたトリックが、というよりこの作品全体の「仕掛け」が衝撃的で、当時は「フェアか、それともアンフェアか」という論争が巻き起こった問題作でもあります。

原作では、のどかなキングズ・アボット村で1人の女性が亡くなります。睡眠薬の過剰摂取でした。その後、彼女の再婚相手といわれていた富豪、アクロイドが何者かに殺害されてしまいます。彼の姪が助けを求めたのは、引退してこの村で暮していた(のんびりとかぼちゃ作りをしていた)名探偵エルキュール・ポアロでした。

原作に忠実な“脚色ぶり”

脚本は、三谷幸喜さん。かつて同じフジテレビで放送された「オリエント急行殺人事件」(15年)の脚本も手掛けています。

三谷さんは物語の舞台を日本の地方の村へと移し替えると共に、時代設定を昭和27年(1952年)としています。その上で、原作小説を読んでいない視聴者のためにも細心の注意をはらいながら、3時間のドラマを構成していました。もっとストーリー自体をいじってくるかと思いましたが、全体としてはむしろ忠実な“脚色ぶり”だったと思います。

ドラマでは、ポアロが前作「オリエント急行殺人事件」と同じ勝呂武尊(すぐろ たける/野村萬斎)に、そして語り手のシェパード医師は柴平祐医師(大泉洋)になっていました。大泉さんの役名は、日本だからシェパード犬じゃなくて柴犬っていう駄じゃれですね(笑)。

主な登場人物は、殺害される富豪が黒井戸禄助(遠藤憲一)。夫を亡くした女性は唐津佐奈子(吉田羊)。柴の姉はカナ(斉藤由貴)。そして勝呂の依頼人となる、黒井戸の姪が花子(松岡茉優)。なかなか豪華なキャストです。

三谷さんは、「全員が容疑者」という前提で話を展開していましたので、「フェアか、アンフェアか」の仕掛けやネタばれもあまり心配せずに、ドラマを楽しむことができました。

「黒井戸殺し」で気になったこと

ただ、気になったことが2点ほどあります。1つ目は野村萬斎さんのややオーバーに見える演技です。もちろんポアロと勝呂は別人格ですし、勝呂はこういう人物だと言われたら、「そうですか」と言うしかないのですが、あまりにも作り過ぎの(わざとらし過ぎる)話し方や表情に、ちょっと引き気味の視聴者も多かったのではないでしょうか。もう少し抑えてくれたらよかったのですが。

2点目は、容疑者の一人として登場した「復員兵の男」です。前述のように、このドラマの設定は昭和27年です。翌年にはテレビ放送も始まるという時期であり、さすがに「兵隊服姿の復員兵」が町をうろうろと歩いている時代ではありません。

横溝正史原作の映画「犬神家の一族」(1976年、市川崑監督)では、例の白いマスクを着けた佐清(すけきよ)が戦地から復員してきた、まさに「復員兵の男」でした。あの作品は敗戦から数年後という設定でしたから、「兵隊服姿の復員兵」は当たり前のような存在だったのです。でも、今回は・・・。

といったことはあるにせよ、このドラマは、全体として「ポアロ物」としての雰囲気を十二分に醸し出していました。「三谷×クリスティ」企画、ぜひまた見てみたいものです。

テレビ朝日系の「クリスティ原作」ドラマ2本

最近は、ブームかと思うほどクリスティ原作のドラマが続きました。テレビ朝日が「パディントン発4時50分」と、「鏡は横にひび割れて」というクリスティの小説をドラマ化し、3月24日・25日の2夜連続で放送していたのです。

どちらも、クリスティが生み出したもう一人の“名探偵”、ミス・マープルが主人公の小説です。ミス・マープルはポアロのような職業的探偵ではなく、いわば「うわさ好きのおばあちゃま」という感じの一般人。まあ、そこが「マープル物」の面白さでもあるのです。

ところが、テレ朝の2本は、ミス・マープルというキャラクター、人物像そのものを大幅に変更していたのです。変更というか、オーバーな言い方をすれば、マープルそのものを消し去っていました。

「パディントン発4時50分~寝台特急殺人事件~」の探偵役は、「元敏腕刑事にして危機管理のプロという華麗な経歴を持つデキる女、天乃瞳子(あまの・とうこ)」。演じていたのは、天海祐希さんです。

また、「大女優殺人事件~鏡は横にひび割れて~」のほうは、「警視庁きっての名警部、捜査一課・特別捜査係の相国寺竜也(しょうこくじ・りゅうや)」で、沢村一樹さんが扮していました。

瞳子も、相国寺も、「うわさ好きのおばあちゃま」とは、ずいぶんかけ離れていますよね。そう、この2本における主人公の設定は、「黒井戸殺し」がポアロを勝呂に変えながら、ドラマを「ポアロ物」として作っていたのとは別次元です。はっきり言って、「マープル物」ではありませんでした。

原作者と作品への礼儀と敬意

原作となる小説に、制作側が手を加えながらドラマ化するのは、ごく普通に行われることです。しかし、変更や手を加えるのも程度問題であり、「主人公」そのものをどこかへ追いやるというのは、ちょっとやり過ぎではないでしょうか。

有名作家の作品のタイトルと物語の筋だけを拝借し、まったく別の人物が主人公となって活躍するドラマにしてしまう。そこには、オリジナルを創りだした原作者へのリスペクトが、大きく欠けています。

クリスティが亡くなってから42年が過ぎています。もしも彼女が生きていたなら、この「ミス・マープル不在のマープル物」2本をどう見ただろうか、なんてことまで思ってしまいました。

そもそもこの企画自体、クリスティの「マープル物」の日本版を作りたいというより、天海祐希さんや沢村一樹さんが主演のスペシャルドラマを作りたかっただけではないのか、という印象が強いのです。だったら、別の原作もあったでしょうに。

とはいえ、熱演の天海さんや沢村さんに罪はありませんし、どちらもドラマそのものは、スペシャルと呼べる出来になっていたのは確かです。また楽しんだ視聴者もたくさんいたはずです。それだけに、大きく「クリスティ原作」をうたっていた2本に、どうにも違和感がありました。本当は、「パディントン発4時50分」に出演してらした草笛光子さんなど、ミス・マープルにはぴったりだったんですけどね。「主演・草笛光子」で、なぜいけないのか(笑)。

クリスティの小説は確かに面白いです。ドラマ化したくなるのもわかります。しかし映像化権を得て(使用料を払って)いれば原作をどう扱おうと勝手だろう、というものではありません。少なくとも、無から有を生み出した原作者、そして作品そのものへの礼儀と敬意は忘れないでほしいと思うのです。

メディア文化評論家

1955年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。千葉商科大学大学院政策研究科博士課程修了。博士(政策研究)。1981年テレビマンユニオンに参加。以後20年間、ドキュメンタリーやドラマの制作を行う。代表作に「人間ドキュメント 夏目雅子物語」など。慶大助教授などを経て、2020年まで上智大学文学部新聞学科教授(メディア文化論)。著書『脚本力』(幻冬舎)、『少しぐらいの嘘は大目に―向田邦子の言葉』(新潮社)ほか。毎日新聞、日刊ゲンダイ等で放送時評やコラム、週刊新潮で書評の連載中。文化庁「芸術祭賞」審査委員(22年度)、「芸術選奨」選考審査員(18年度~20年度)。

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