『やすらぎの郷』から『やすらぎの刻(とき)~道』へ 倉本聰の挑戦は続く!
『やすらぎの刻~道』は、いわば「昼の大河ドラマ」
1月23日、テレビ朝日が開局60周年記念番組『やすらぎの刻(とき)~道』の制作を発表しました。
しかも、「帯ドラマ劇場(シアター)」(月~金曜、午後0時半~)を2018年度はお休みにして、19年度に一年間にわたって放送するというのです。半年間だった『やすらぎの郷』がテレ朝版の「昼の連続テレビ小説」なら、『やすらぎの刻~道』は「昼の大河ドラマ」であり、画期的なことです。
タイトルは、昨年4~9月に放送された『やすらぎの郷』の続編を思わせますが、これは単純な意味での続編ではありません。
もちろん、あの老人ホーム「やすらぎの郷」に暮らす面々の“その後”も楽しみですが、この記事の中にある、「発表する当てのないシナリオ」のドラマ(映像)化が、『やすらぎの刻~道』の大きな見どころでしょう。
主人公である菊村栄(石坂)には、書き手である倉本聰さんが強く投影されています。昭和10年に生まれ、10歳で敗戦を迎え、戦後から平成の現在までを生き抜いてきたのは、まぎれもない倉本さん自身です。その倉本さんが、菊村を通じて「激動の昭和」を、それも「庶民(市民)の昭和」を、この「シナリオ」で描くわけです。
倉本聰本人に聞いた、『やすらぎの刻~道』
先日、倉本さんにお会いした際、この新作についてもうかがいました。特に、菊村が書いているという脚本について質問すると、「これは菊村の頭の中の、いわば脳内ドラマ」だとおっしゃっていました。
ドラマの中では、菊村の脚本を映像として見ることになるのですが、これは「いわゆる劇中劇ではないんです」と、きっぱり。
その通りだと思います。「劇中劇」は、文字通り劇の中に挿入される別の劇のことを指しますが、あくまでも、登場人物によって劇中で演じられるものです。
しかし、『やすらぎの刻~道』では、菊村が書くドラマであっても、菊村たちが登場する菊村たちの物語ではないのです。ドラマの中の脚本家が書いた、まったく別のドラマです。
視聴者は、『やすらぎの郷』の続編として楽しむと同時に、もう1本、骨太な「昭和ドラマ」を堪能できることになります。また、その昭和ドラマの展開は、書いている菊村本人にも見通せないという構造も、実に野心的です。
ドラマは、人間を描くこと
現在、半世紀以上にもおよぶ「倉本ドラマ」について、ご本人から直接話を聞く、「オーラル・ヒストリー」の取り組みを進めています。その中で、最近のドラマ脚本全般について、次のように語っていました。
2019年春に登場する『やすらぎの刻~道』では、どんな人物たちの、どのような化学反応を見せてもらえるのか。大いに楽しみです。