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ギャラクシー賞「大賞」受賞記念 ドラマ「あまちゃん」研究 序説 短期集中連載 第3回

碓井広義メディア文化評論家

第51回ギャラクシー賞「大賞」受賞を記念して、「あまちゃん」に関する考察を短期集中連載しています。

ドラマ「あまちゃん」研究 序説

~なぜ視聴者に支持されたのか~

短期集中連載 第3回

(3)異例の脚本

宮藤官九郎の脚本の特色は密度とテンポの物語展開、そして登場人物が発する言葉の熱で

ある。宮藤が書いた「あまちゃん」の脚本には、以下のような注目すべき独自性がある。

<1> 物語展開

前述したように、現在1年間に2本の朝ドラが制作されており、半年ごとに制作主体がNHK東京放送局と大阪放送局で交代する。だが、どちらの局が制作する場合も、その物語展開には長く踏襲されてきたパターンが存在する。

それは、地方で生まれ育ったヒロインが、ある年齢に達すると故郷・地元を離れ、東京か大阪という大都会に出ることだ。彼女はそこで仕事に就き、また恋愛をし、結婚や出産といった経験をしていくのである。

この場合、都会に行ってから遭遇するさまざまな出来事が、ドラマ全体のかなりの部分を占めることが多い。ヒロインが地元で過ごすのは幼少期から高校時代までがほとんどであり、それはドラマの中では「人生の助走期間」として扱われてきた。

しかし、「あまちゃん」は明らかにそれらとは異なっている。北三陸という「地方」と、東京という「都会」とが等分の比重で描かれているのだ。確かにアキは物語の途中で東京に行く。全国的なアイドルを目指すためだ。とはいえ、東京を経て、アキは再び北三陸に戻ってくる。そして最終的には地元アイドルとして北三陸で活動することになる。

もちろんドラマの「その後」に、アキがどんな選択をするのかは分からないが、アキにとっての北三陸(地元)は、東京(都会)に出るための助走や踏み台ではなく、大切な「生きる場所」、自分の「いるべき場所」として設定されていることは明らかだ。

「あまちゃん」は、一般的に「北三陸編」と「東京編」の2部構成と思われている。しかし、ドラマ全体を俯瞰すると、「北三陸編」「東京編」「震災編」の3部構成になっていることが分かる。

全156回のうち、「震災編」は、東日本大震災当日を描いた133回から最終回である156回までを指す。こうした3部構成も、これまでの朝ドラには見られなかったものだ。地元―都会―地元というヒロインの「水平移動」は、物語自体の広がりにも大きく寄与している。

さらに、「あまちゃん」の物語展開で重要なことは、場所の水平移動と同時に、時間の「垂直移動」が行われていることだ。リアルタイムで進行するアキ自身の青春時代と、アキの母親・春子が若き日々を過ごした80年代である。

アキが北三陸にやってきたのは2008年、高校2年生の夏であり、その時点からの4年間がこのドラマにおける主要な時間軸だが、随所に春子の80年代体験を織り込むことで、物語に縦方向の深度が生まれている。

宮藤官九郎は、地元―都会―地元の「水平移動」と、現在―80年代の「垂直移動」の両方を組み合わせながら、厚みのある物語を構築していったのだ。

<2> 人物設定

軸となるヒロインは天野アキ(能年玲奈)だ。しかし、その母親・春子(小泉今日子)も、祖母・夏(宮本信子)も、いわゆる脇役ではない。それどころか、3人が3世代ヒロインとして同格で描かれ、物語の中で拮抗しているのだ。「あまちゃん」の面白さ、楽しさの一因は、この「トリプルヒロイン」の設定にもある。

まずアキであるが、このドラマの冒頭で初登場する17歳の彼女は、春子によれば「地味で、暗くて、パッとしなくて、何のとり得もない女の子」である。東京の高校でクラスメイトから軽いいじめを受けていたが、むしろ無視されていたと言ったほうがいい。

ちなみに過去の朝ドラのヒロインは、基本的に「ひたすら元気で、明るく、前向き」な性格であることが多い。「あまちゃん」の前に放送されていた「純と愛」のヒロイン・純(夏菜)などその典型だ。アキのように茫洋としていて、一見何を考えているのか分からないタイプは稀なのである。

だが、そのおかげで視聴者はヒロインがどのように自分を発見していくのかに関心の目を向けた。引っ込み思案なタイプのヒロインが、人前に出ることで成立するアイドルになっていく過程を応援することが出来たのだ。

ただし、過去の朝ドラのヒロインたちは、さまざまな体験を重ねることで成長し、変化していくのが当たり前だったが、アキは違う。成長はしたかもしれないが、基本的に当人の実質は変わらないのだ。

むしろアキという“異分子”に振り回されることで、徐々に変化していくのは周囲の人たちのほうだ。それは北三陸の人たちも、東京で出会った人たちも同様である。

その様子は、山口昌男が言うところの「トリックスター」を想起させる。いたずら者のイメージをもつトリックスターは、「一方では秩序に対する脅威として排除されるのであるが、他方では活力を失った(ひからびた)秩序を賦活・更新するために必要なものとして要請される」(山口『文化と両義性』)からだ。

アキが北三陸に現れた時、地元の人たちにとっては「天野春子の娘」という“脇役”にすぎなかった。また、アキはアイドルとなるべく上京したが、本当に待たれていたのは「可愛いほう」のユイであり、「まなっているほう」のアキはオマケだったのだ。

ところが、いつの間にか人々の中心にアキがいた。「トリックスターは脇役として登場しながらも、最後には主役になりおおせる」(山口「文化記号論研究における「異化」の概念」)のだ。

次に、このドラマにおける春子の存在も重要である。1984年に高校を中退し、当時の女子中高生を象徴する「聖子ちゃんカット」のヘアスタイルで家出をした。24年後、高校生の娘を連れて北三陸へと帰郷する。

前述のように、このドラマの冒頭は北三陸の駅に2人で降り立つシーンだ。寂れた小さな町に戻った春子には、見る者が謎の24年間を想像したくなるような、それまでの“女の軌跡”が全身から漂っていた。

春子はかつてアイドルになるべく東京へと向かった。しかし、目的を果たせないまま結婚し、子育てを続けてきたのだ。では、なぜアイドルになれなかったのか。物語の進行と共に、春子のいわば「秘密の過去」が徐々に明らかになっていく。

そしてトリプルヒロインの3人目は、春子の母であり、アキの祖母である夏だ。遠洋漁業の船に乗る夫に代わり家を一人で守ってき、海女一筋の60代である。一般的な朝ドラにおける「ヒロインの祖母」は、どちらかといえば「遠くで見守る人」という役割が多い。

しかし夏の場合は、海女クラブ会長として、また海女の大先輩としてアキを指導する立場にある。孫のアキへ、海女の継承はいかに行われるのか。また、24年前、娘の春子との間に何があったのか。その確執はどう解消されていくのか、視聴者も注目した。アキの、また春子の心の拠り所としての夏は、物語展開に大きくからむ第3のヒロインなのである。

こうしたトリプルヒロインの設定が幅広い視聴者層を巻き込み、それぞれの世代の目線でドラマに参加することを可能にしたのだ。

(連載第4回に続く)

メディア文化評論家

1955年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。千葉商科大学大学院政策研究科博士課程修了。博士(政策研究)。1981年テレビマンユニオンに参加。以後20年間、ドキュメンタリーやドラマの制作を行う。代表作に「人間ドキュメント 夏目雅子物語」など。慶大助教授などを経て、2020年まで上智大学文学部新聞学科教授(メディア文化論)。著書『脚本力』(幻冬舎)、『少しぐらいの嘘は大目に―向田邦子の言葉』(新潮社)ほか。毎日新聞、日刊ゲンダイ等で放送時評やコラム、週刊新潮で書評の連載中。文化庁「芸術祭賞」審査委員(22年度)、「芸術選奨」選考審査員(18年度~20年度)。

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