近本光司は「二塁打も三塁打も本塁打も二桁」まで2本塁打。岡林勇希は「2年連続二桁三塁打」にリーチ
今シーズン、近本光司(阪神タイガース)は、24二塁打と11三塁打、8本塁打を記録している。ホームランをあと2本打つと、3種類の長打のいずれも二桁となる。近本は、2年前に10本のホームランを打った。
1シーズンに二塁打も三塁打もホームランも二桁の「トリプル・ダブル」は、見落としがなければ、延べ29人が記録している。中利夫/三夫/暁生と広瀬叔功は、2度ずつ。中は1961年(14二塁打、11三塁打、13本塁打)と1964年(23二塁打、10三塁打、14本塁打)、広瀬は1960年(24二塁打、10三塁打、10本塁打)と1965年(33二塁打、10三塁打、15本塁打)がそうだ。
直近は、2018年の2人。上林誠知(福岡ソフトバンク・ホークス)が26二塁打と14三塁打と22本塁打、田中広輔(広島東洋カープ)は19二塁打と10三塁打と10本塁打を記録した。
シーズン二桁三塁打は、今シーズンの近本の前に、延べ82人が記録している。3種類の長打がすべて二桁は、そのうちの35.4%(29/82)ということになる。
一方、岡林勇希(中日ドラゴンズ)は、2年連続の二桁三塁打にリーチをかけている。昨シーズンは10本、今シーズンはここまで9本だ。
こちらのストリークは、延べ5人しか記録していない。1950~52年に3年連続(15本、13本、10本)の蔭山和夫が最も長く、金田正泰は2年連続が2度。1946~47年(13本、11本)と1953~54年(11本、10本)だ。あとの2人は、どちらも1961~62年。中が11本と10本の三塁打を打ち、毒島章一は両シーズンとも11三塁打を記録した。
金田のシーズン二桁三塁打は6度あり、どの選手よりも多い。連続以外の2度は、1949年の10本と1951年の18本。後者は、今もシーズン最多記録だ。
岡林は、三塁打をあと1本打つと、1961~62年の中と毒島以来、61年ぶりの2年連続二桁三塁打となる。なお、昨シーズンの長打は、二塁打が25本、三塁打が10本、ホームランは0本。今シーズンは、20本、9本、3本。1シーズンに10本以上の三塁打を打った選手のうち、そのシーズンのホームランがなかったのは、昨シーズンの岡林だけだ。
二桁三塁打のシーズンに二塁打0本の選手はいないが、二塁打が10本未満は2人いる。1940年の清水秀雄は、9二塁打と10三塁打。二塁打だけでなく、ホームランも一桁の7本だった。この年、清水は42登板で308.0イニングを投げ、防御率1.75を記録している。1955年の岩本堯は、7二塁打、10三塁打、12本塁打だ。
三塁打を含まない、二塁打とホームランのシーズン記録については、こちらで書いた。