大谷翔平の「21敬遠四球」は自己最多。エンジェルスの最多記録は大谷でもマイク・トラウトでもなく
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9月2日、オークランド・アスレティックスのマーク・コッツェイ監督は、2対1の5回表、1死二塁の場面で、大谷翔平(ロサンゼルス・エンジェルス)を歩かせた。
さらに、同じスコアの9回表、2死三塁の場面でも、大谷との勝負を避けた。
アスレティックスの投手は、次打者のブランドン・ドゥルーリーを、それぞれ、5-4-3の併殺打とセンター・フライに討ち取った。
大谷の敬遠四球は、シーズン全体で21となった。2年前に記録した自己最多に並び、上回った。
今シーズン、エンジェルスを除く29チーム中27チームの敬遠四球は、大谷よりも少ない。選手では2番目に多い、ホゼ・ラミレス(クリーブランド・ガーディアンズ)の18敬遠四球も、ガーディアンズを除く29チーム中23チームを上回るが、2年前、大谷より敬遠四球が少なかったのは、29チーム中12チームだった。
ただ、大谷の21敬遠四球は、エンジェルスのトップ3に入っていない。
トップ3は、28敬遠四球のブラディミール・ゲレーロ(2007年)と26敬遠四球のゲレーロ(2005年)に、25敬遠四球のゲレーロ(2006年)とマイク・トラウト(2018年)だ。
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ゲレーロが3年続けて20敬遠四球以上を記録した当時、エンジェルスは弱くなかった。2005年と2007年は地区を制し、その間の2006年はポストシーズンに進めなかったものの、現行のフォーマットを当てはめると、ワイルドカードの3番手に位置する。
2002~09年の8シーズンに、エンジェルスはポストシーズンに6度進出した。その1度目の2002年は、初のワールドシリーズ優勝を飾った。
2010年以降のポストシーズン進出は、地区優勝の2014年のみ。この年のポストシーズンは、0勝3敗だった。エンジェルスがポストシーズンの試合で勝ったのは、2009年が最後だ。