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シーズン50本塁打以上の選手は「翌年」に何本打ったのか。村上宗隆は昨年56本塁打

宇根夏樹ベースボール・ライター
村上宗隆 August 7, 2021(写真:ロイター/アフロ)

 村上宗隆(東京ヤクルト・スワローズ)は、2022年に56本のホームランを打った。この本数は、王貞治(1964年)、タフィー・ローズ(2001年)、アレックス・カブレラ(2002年)の55本塁打を上回り、10年前に60本塁打のウラディミール・バレンティンに次ぐ。

 彼らを含め、1シーズンに50本塁打以上は、延べ15人が記録している。王が3度、落合博満、ローズ、カブレラが2度ずつだ。

筆者作成
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 50本塁打の翌年に、さらに本数を増やした選手はいない。落合とカブレラは2年続けて50本塁打以上を記録したが、1985~86年の落合は52本と50本、2002~03年のカブレラは55本と50本だ。2002年に50本塁打の松井秀喜は、翌年、ニューヨーク・ヤンキースでプレーし、42本の二塁打を打ったものの、ホームランは16本にとどまった。

 ただ、14人中6人は、50本塁打以上の翌年も、11打数未満に1本のハイペースでホームランを打っている。なかでも、1974年の王と1986年の落合のペースは、前年を上回った。王は、51本塁打の1973年が8.4打数/本、49本塁打の1974年は7.9打数/本。落合は、52本塁打の1985年が8.8打数/本、50本塁打の1986年は8.3打数/本だ。

 ペースが上がったにもかかわらず、わずかながら本数が減ったのは、王の場合、四球の増加が理由だ。1973年と1974年の打席は560と553なので、ほとんど変わっていない。どちらのシーズンも、130試合に出場した。それに対し、四球は124と158。1973年の四球率も22.1%と高かったが、1974年の四球率は28.6%まで跳ね上がった。全打席の4分の1以上が四球ということだ。投手から勝負を避けられていたことが窺える。

 一方、落合の出場は、1985年が130試合、1986年は123試合だ。打席は568から522に減っている。四球は両シーズンとも101。四球率は17.8%から19.3%へ上がっているものの、王ほどの急上昇ではない。

 2023年の村上も、四球と出場試合は、ホームランの本数を左右する大きな要因となる。歩かされることが増えるか、出場試合が少なくなれば、2022年と同じペースでホームランを量産しても、本数の増加は難しい。ちなみに、2022年のペースは8.7打数/本、その前年は12.8打数/本(39本塁打)だった。四球率は、2022年が19.3%(118四球)、その前年は17.2%(106四球)だ。

 昨年、村上は141試合に出場した。どの試合も、打順は4番だ。それに対し、すぐ後ろの5番は、二桁出場の選手が4人いた。ホセ・オスナが43試合、ドミンゴ・サンタナが39試合、中村悠平が16試合、青木宣親は11試合だ。彼らのうち、サンタナがシーズンを通して5番に座れば、相手は村上との勝負を避けにくくなるだろう。昨年、サンタナは、60試合で15本のホームランを打った。そのペースは、12.6打数/本だ。出塁率も低くなく、2シーズンとも.350以上を記録している。

 なお、今年、村上が50本のホームランを打つと、2シーズンの合計は106本となり、これまでの最多記録を上回る。

 2シーズンの合計本塁打については、こちらで書いた。

「村上宗隆の「2シーズンに計95本塁打」は歴代何番目に多いのか。最多は計105本」

ベースボール・ライター

うねなつき/Natsuki Une。1968年生まれ。三重県出身。MLB(メジャーリーグ・ベースボール)専門誌『スラッガー』元編集長。現在はフリーランスのライター。著書『MLB人類学――名言・迷言・妄言集』(彩流社)。

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