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ノーラン・ライアンがメッツの背番号「34」だったのは間違いではないが…。登板はわずか2試合

宇根夏樹ベースボール・ライター
千賀滉大(左)とビリー・エプラーGM Dec 19, 2022(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)

 ニューヨーク・メッツの背番号「34」は、千賀滉大の前に30人以上が使用している。そのなかの一人は、殿堂投手のノーラン・ライアンだ。

 ライアンは、ノーヒッターを7度達成した。5714奪三振(と2795与四球)は、史上最多だ。選手時代にノーランが在籍した4球団のうち、ロサンゼルス・エンジェルス(当時はカリフォルニア・エンジェルス)、ヒューストン・アストロズ、テキサス・レンジャーズの3球団は、ノーランの背番号を欠番としている。エンジェルスは「30」、アストロズとレンジャーズは「34」だ。

 ただ、1球団目のメッツは、ライアンの背番号を欠番にしていない。ライアンが開花したのは、1971年のオフにメッツからエンジェルスへ移籍してからだ。1972年に284.0イニングを投げるまで、規定投球回に達したことはなかった。シーズン防御率が3.00を下回ったのも、この年の2.28が初めてだった。

 しかも、ライアンがメッツで「34」を背負って投げたのは、メジャーリーグ1年目の2試合だけだ。1966年9月にデビューしたライアンは、2試合に登板し、計3イニングで6三振を奪ったが、失点(と自責点)は4。ちなみに、最初の失点は、ジョー・トーリにホームランを打たれた。翌年は、兵役と故障があり、メジャーリーグでは登板せず、1969年からは背番号「30」となった。

 メッツで5年以上にわたって背番号「34」を使用した選手は、ボブ・アポダカ(1973~77年)とマイク・ペルフリー(2006~12年)に、現ロサンゼルス・ドジャースのノア・シンダーガード(2015~21年/2020年は全休)の3投手だ。千賀は、契約満了までメッツで投げれば、彼らに続く4人目となる。アポダカは、1990年代の終盤に、投手コーチとしても「34」を背負った。

 なお、メッツの背番号「34」のうち、千賀の前の2人については、こちらで書いた。

「メッツはこの選手から背番号「34」を取り上げ、千賀滉大に与えた!?」

ベースボール・ライター

うねなつき/Natsuki Une。1968年生まれ。三重県出身。MLB(メジャーリーグ・ベースボール)専門誌『スラッガー』元編集長。現在はフリーランスのライター。著書『MLB人類学――名言・迷言・妄言集』(彩流社)。

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