通算打率10割で引退し、最も多くのヒットを打った選手は「何打数何安打」なのか。その弟は日本で首位打者
2007年に阪神タイガースで投げたエステバン・ヤン――登録名はヤンではなくジャン――は、大袈裟に言えば、不滅のメジャーリーグ記録を持っている。通算2打数2安打、打率10割だ。この打率は、並ばれることはあっても、追い越されることはない。
ヤンは、2000年にタンパベイ・デビルレイズで2打席、2003年にセントルイス・カーディナルスで1打席に立ち、ホームランと送りバント、バント安打を記録した。通算打率10割でホームランも打った選手は、ヤンの他には、1893年に3登板のフランク・オコナーしか見つからなかった。オコナーもヤンと同じく、2打数2安打だ。
ただ、通算打率10割の選手のなかに、2打数2安打は他にもいる。さらに、それよりも多くのヒットを打った選手も、1人だけ存在する。1963年に出場1試合のジョン・パチョレックがそうだ。ヒューストン・コルト.45sのシーズン最終戦に「7番・ライト」として出場し、四球、シングル・ヒット、シングル・ヒット、四球、シングル・ヒットを記録した。3打数3安打の打率10割だけでなく、出塁率も10割だ。しかも、1本目と2本目のヒットで、計3打点を挙げた。
当時のパチョレックは18歳。打率10割のままでなくとも、メジャーリーガーとしてキャリアを築いていく時間はたっぷりあった。けれども、1983年にニューヨーク・タイムズのジョージ・ベクシーが書いた記事によると、パチョレックはメジャーデビュー当時から腰を痛めていて、それが悪化したという。1965年の全休を挟み、1969年までプレーしたが、再びメジャーリーグの試合に出場することはなかった。
一方、彼の弟であるトム・パチョレックは、1970年から1987年までメジャーリーグでプレーし、1981年にはア・リーグ2位の打率.326を記録した。また、ジョンとトムの弟であるジム・パチョレックは、メジャーデビューした1987年に48試合で打率.228を記録した後、日本プロ野球へ移って活躍した。1988~91年に横浜大洋ホエールズ、1992~93年に阪神でプレーし、最後の1シーズンを除き、5シーズン続けて打率3割以上。1988~89年の打率.332と.333はいずれもセ・リーグで2番目に高く、1990年(.326)は首位打者を獲得した。1991年は7位(.310)、1992年は4位(.311)だった。
なお、通算打率5割以上の選手のうち、最も多くのヒットを打ったのは、1972年に14打数7安打のドン・デューラムだ。こちらは投手。1972~73年に25登板で88.0イニングを投げ、防御率5.83を記録した。デューラムは、野手に転向すべきだったかもしれない。サンプル数はわずかながら、3打数3安打が1試合と3打数2安打が2試合。7安打のうち、2本はホームランだ。マイナーリーグでは、通算打率.201(139打数28安打)と3本塁打を記録した。
ちなみに、ヤンは日本プロ野球で30打席に立ち、打率.143(28打数4安打)だった。二塁打を1本打ったが、ホームランはなかった。
通算0勝の最多敗と、通算0敗の最多勝については、それぞれ、こちらで書いた。