「満票」でMVPを受賞した選手たち。大谷翔平もそうなる!? 発表は明日
MVPの受賞者は、11月18日(日本時間11月19日)に発表される。ア・リーグのMVPは、大谷翔平(ロサンゼルス・エンジェルス)が受賞するだろう。30人の記者全員から1位票を得る「満票」の可能性もある。
BBWAA(全米野球記者協会)による選出が始まった1931年以降、満票のア・リーグMVPは10人を数える。直近の10人目は、2014年のマイク・トラウト(エンジェルス)だ。
ナ・リーグの満票は、7人あるいは8人。2015年にブライス・ハーパー(当時ワシントン・ナショナルズ/現フィラデルフィア・フィリーズ)が受賞した時、BBWAAはナ・リーグ7人目の満票と謳った。その1人目は、1967年のオーランド・セペダだ。けれども、ホール・オブ・フェイム(殿堂)は、1967年のセペダについて、ナ・リーグでは1936年のカール・ハッベル以来の満票としている。ハッベルとセペダは、どちらも殿堂選手だ。
満票のMVPは、以下のとおり。実際にそうだったかどうかはさておき、ここにはハッベルも含めた。
1968年のデニー・マクレインは、31勝を挙げた。リーグ2位の投手と9勝差もさることながら、1935年以降の30勝投手は、今日においても、この年のマクレインしかいない。三冠王となった1956年のミッキー・マントルと1966年のフランク・ロビンソンのうち、マントルの52本塁打はリーグ2位より20本多かった。1988年のホゼ・カンセコは、史上初の40-40を達成。1997年のケン・グリフィーJr.は、56本のホームランを打った。シーズン55本塁打以上は、1961年に61本のロジャー・マリスを最後に、30年以上も途絶えていた。この年にマーク・マグワイアが記録したホームランは、グリフィーJr.より2本多かったが、その内訳は、ア・リーグのオークランド・アスレティックスで34本、ナ・リーグのセントルイス・カーディナルスで24本だった。
一方、1993年のフランク・トーマスと1996年のケン・カミニティは、首位打者、本塁打王、打点王、盗塁王のいずれも獲得しておらず、出塁率とOPSもリーグ1位ではなかった。歴代の三冠王のなかには、満票ではなかったMVPだけでなく、受賞を逃した選手もいる。そのことは、9月に「ゲレーロJr.が三冠王の場合、大谷はMVPを受賞できる!?」で書いた。また、バリー・ボンズが73本塁打を記録したのは2001年で、満票のMVPはその翌年だ。ホームランの本数は、前年より27本少なかった。2001年もMVPを受賞したものの、1位票はボンズが30、サミー・ソーサが2。当時のナ・リーグは16チームあり、32人の記者が投票した。
大谷が満票でMVPに選出されるかどうかは、わからない。ただ、大谷を1位としなかった記者がいれば、その記者は、理由の説明を求められることになるはずだ。