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野村克也監督の下でプレーした「監督」は新庄剛志が18人目

宇根夏樹ベースボール・ライター
野村克也 1977(写真:岡沢克郎/アフロ)

 野村克也は、日本プロ野球の4球団で監督を務めた。1970~77年は南海ホークスで選手兼任のプレーイング・マネージャーとして指揮を執り、1990~98年はヤクルト・スワローズ、1999~2001年は阪神タイガース、2006~09年は東北楽天ゴールデンイーグルスで采配を振った。

 4球団のいずれかにおいて、野村監督の下でプレーした選手のうち、日本プロ野球の球団で監督を務めるのは、見落としがなければ、北海道日本ハム・ファイターズの監督に就任した新庄剛志が18人目となる。

 この人数には、南海時代の野村自身も含めた。選手の野村は、監督の野村に起用されてプレーした。一方、監督代行や暫定監督を務め、正式な監督にはならなかった人物はカウントしなかった。また、野村監督の下でコーチを務めたものの、プレーはしていない、若松勉のような監督経験者も除いた。ヤクルト一筋に過ごした若松の選手時代は、野村が監督に就任する前年の1989年までだ。

筆者作成
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 18人中10人は、ヤクルト時代の野村監督の下でプレーしている。なかでも、1998年のヤクルトには、後に監督となる選手が7人もいた。古田敦也渡辺久信真中満辻発彦高津臣吾三木肇石井一久がそうだ。日本代表監督を務め、先頃、北海道日本ハムのGMに就任した稲葉篤紀も、彼らとともにプレーしている。1995年から1998年まで、稲葉は野村監督に起用された。

 現在の北海道日本ハムは、GMも監督も、野村の「門下生」だ。これは、北海道日本ハムだけではない。東京ヤクルト・スワローズは小川淳司GMと高津監督、埼玉西武ライオンズは渡辺GMと辻監督。2人ではないが、石井がGMと監督を兼任する東北楽天を含めれば、4球団となる。12球団の3分の1だ。

 北海道日本ハムのGMと監督、稲葉と新庄は、野村監督の下でプレーした球団が、それぞれ違う。稲葉はヤクルト時代、新庄は阪神時代だ。ちなみに、2人がチームメイトとして過ごしたのは、2005~06年の北海道日本ハム。当時の監督は、トレイ・ヒルマンだった。

 新庄がどの監督の下でプレーしたのかについては、こちらで書いた。

「新庄剛志はどの監督の下でプレーしてきたのか。今年のワールドシリーズで指揮を執る監督もその一人」

 新庄、石井、高津ら、元メジャーリーガーの監督については、こちらで書いた。

「新庄剛志が加わって、来シーズンの監督は3分の1が「元メジャーリーガー」に」

ベースボール・ライター

うねなつき/Natsuki Une。1968年生まれ。三重県出身。MLB(メジャーリーグ・ベースボール)専門誌『スラッガー』元編集長。現在はフリーランスのライター。著書『MLB人類学――名言・迷言・妄言集』(彩流社)。

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