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大谷翔平の「10奪三振&野手守備」は1900年以降3人目。最初の投手は、「余興」の副産物だった

宇根夏樹ベースボール・ライター
大谷翔平(ロサンゼルス・エンジェルス)MAY 11, 2021(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)

 5月11日、「2番・投手」として出場した大谷翔平(ロサンゼルス・エンジェルス)は、7イニングを投げてホームランによる1点しか与えず、10三振を奪った。さらに、8回裏はライトの守備についた。

 イライアス・スポーツ・ビューローによると、1900年以降、同じ試合で10奪三振以上&投手以外のポジションでプレーは、1952年9月28日のハービー・ハディックス(11奪三振&ライト)と1970年7月6日のサム・マクダウェル(15奪三振&二塁)に続き、大谷が3人目だという。

 この3度とも、事情はそれぞれ異なる。

 1人目のハディックスは、1回表に先頭打者を四球で歩かせた後、ライトの守備についた。センターを守っていたスタン・ミュージアルがマウンドに上がり、ハル・ライスがライトからセンターへ移った。ミュージアルが投げた初球をフランク・ボームホルツが打ち、三塁手のエラーで塁に出ると、セントルイス・カーディナルスの3人は、元のポジションへ戻った。そこから、ハディックスは8イニングを投げて11三振を奪った。試合は、0対3でカーディナルスが敗れた。

 この試合は、カーディナルスとシカゴ・カブスのどちらにとっても、シーズン最終戦だった。すでに、ブルックリン・ドジャースがリーグ優勝を決めていて(地区制はまだ始まっていなかった)、ミュージアルの首位打者もほぼ確定していた。試合前の打率は.336。次いで高いのは、ボームホルツの打率.326だった。

 打率トップ2の対戦というわけだ。この「余興」には、2人とも乗り気ではなかったらしい。半世紀後、ミュージアルは、セントルイス・ポスト-ディスパッチのダン・オニールに「さっさと終わらせたかった」と語った。ボームホルツは、本来の左打席ではなく、右打席に立った。

 2人目のマクダウェルは、2点リードの8回表、2死二、三塁の場面で、二塁へ移った。打席には、右打者のフランク・ハワード。過去2シーズンとも40本塁打以上のスラッガーだ(このシーズンを含めて3年連続)。左投手のマクダウェルに代わり、右投手のディーン・チャンスがマウンドに上がった。

 ただ、チャンスは、アルビン・ダーク監督の指示により、敬遠四球でハワードを歩かせた。次の打者は、右打者のリック・ライカート。そのまま打席に立てばチャンスが投げ、代打に左打者が出てきた場合は、マクダウェルをマウンドへ戻すつもりだったようだ。結局、代打はなく、チャンスはライカートを三塁ゴロに仕留め、イニングを終わらせた。9回表は、マクダウェルが再び登板し、三振、三振、三振で白星を手にした。15奪三振の内訳は、二塁を守る前に12奪三振、二塁を守った後に3奪三振だ。

 大谷の場合、7回裏を投げ終えた時点で、スコアは0対1。ジョー・マッドン監督は、こう考えたのだろう。投手としては無理をさせられないが、ここから追いつき、逆転するためには、打者としての大谷を引っ込めたくない。8回表が3人で終わっても、9回表に大谷は打席に立つ。

 8回表にホームランが出て、エンジェルスは同点に追いついた。1対1のまま、9回表を迎えれば、大谷が勝ち越しのホームランやタイムリー・ヒットを打つ可能性もあった。だが、エンジェルスのリリーフ投手たちは、8回裏に4点を取られた。9回表の攻撃は1番打者から始まったが、デビッド・フレッチャーが二塁フライ、大谷が三振、マイク・トラウトがセンター・フライに倒れ、試合終了となった。

ベースボール・ライター

うねなつき/Natsuki Une。1968年生まれ。三重県出身。MLB(メジャーリーグ・ベースボール)専門誌『スラッガー』元編集長。現在はフリーランスのライター。著書『MLB人類学――名言・迷言・妄言集』(彩流社)。

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