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「旧名称の球団」でプレーした現役選手。福岡ダイエー、地名なしの西武とヤクルト、DeNAなしの横浜

宇根夏樹ベースボール・ライター
内川聖一 MARCH 2, 2009(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

 日本プロ野球で球団の名称が変わったのは、2011年のオフが最後だ。オーナーの交代に伴い、横浜ベイスターズが横浜DeNAベイスターズとなった。

筆者作成
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 調べたところ(見落としがないことを願う)、横浜ベイスターズの選手として一軍でプレーしたことのある現役選手は、下のリストのとおり、9人いた。現時点で、日本プロ野球あるいはメジャーリーグの球団に在籍している選手だ。須田幸太石川雄洋は、含めていない。

 須田は、横浜ベイスターズの「ラストシーズン」となった2011年に一軍デビュー。この年は、17試合に登板した。2018年のオフに横浜DeNAから来シーズンの契約を結ばないことを通知され、プロ入り前のJFE東日本硬式野球部へ復帰。今も在籍中だ。石川の一軍デビューは2006年。以来、移籍することなく過ごしてきた。今オフ、2年前の須田と同じ通知を受けて退団し、現在はどの球団にも在籍していないが、練習を続けていて、その様子をインスタグラムにアップしている。ちなみに、山口俊(サンフランシスコ・ジャイアンツ)の一軍デビューも、石川と同じ2006年。こちらは、今オフにトロント・ブルージェイズから解雇され、ジャイアンツとマイナーリーグ契約を交わした。

 なお、2011年に横浜ベイスターズで12登板のブランドン・マンは、昨シーズンまで現役選手だった。2012年のオフに横浜DeNAを退団後、マイナーリーグと日米の独立リーグを経て、2018年に33歳でメジャーデビュー。2019年は千葉ロッテマリーンズ、2020年は台湾プロ野球の楽天モンキーズで投げ、今シーズンはコーチとして、韓国プロ野球で開幕を迎える。ロッテ・ジャイアンツの二軍(フューチャーズ・リーグ)で、ピッチング・コーディネーターを務める。

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 西武ライオンズから埼玉西武ライオンズとなったのは、横浜→横浜DeNAの4年前だ。この点からすると、埼玉がつかない西武でプレーした現役選手が8人いるのは、多い気がする。ヤクルトスワローズ→東京ヤクルトスワローズは、西武→埼玉西武の2年前だが、東京がつかないヤクルトでプレーした現役選手は3人だ。

 DeNAなしの横浜も埼玉なしの西武も、昨シーズン、一軍もしくはメジャーリーグの試合に出場した現役選手に限れば、7人となる。リストには記していないが、山口はメジャーリーグで17試合に登板し、筒香嘉智(タンパベイ・レイズ)は51試合に出場した。山口がメジャーリーグで初めて投げた試合には、筒香も出場している。投手と打者としての対戦はなかった。

 一方、旧名称の球団――福岡ダイエーホークス、地名なしのヤクルトと西武、DeNAなしの横浜――のいずれかでプレーした現役選手を、現時点の在籍球団ごとに分けると、埼玉西武、東京ヤクルト、東北楽天ゴールデンイーグルスの各4人が最も多い。さらに、東京ヤクルトには、2004年まで存在した大阪近鉄バファローズでプレーした、坂口智隆もいる。坂口は、2002年のドラフトで大阪近鉄から1巡目指名を受け、2003年は1試合、2004年は7試合に出場した。

 2002年のドラフトにおいて、大阪近鉄が最初に1巡目で指名したのは、坂口ではなく、坂口の現チームメイトである雄平(高井雄平)だった。こちらは2003~05年に、東京がつかないヤクルトで54試合に登板している。また、大阪近鉄、オリックス・バファローズ、東京ヤクルトで坂口とチームメイトだった近藤一樹は、今オフに東京ヤクルトから来シーズンの契約を結ばないと通告され、四国アイランドリーグplusの香川オリーブガイナーズに入団した。選手と投手コーチを兼任する。この球団にいる近藤壱来は、右投手の「こんどう・かずき」だが、一樹から改名したのではなく、別人だ。日本プロ野球の球団に在籍したことはなく、年齢は15歳差。誕生日も似ているようで違い、一樹が7月8日、壱来は8月7日だ。

ベースボール・ライター

うねなつき/Natsuki Une。1968年生まれ。三重県出身。MLB(メジャーリーグ・ベースボール)専門誌『スラッガー』元編集長。現在はフリーランスのライター。著書『MLB人類学――名言・迷言・妄言集』(彩流社)。

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