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「最多勝投手=最多敗投手」。リーグ最多の白星を挙げたのと同じシーズンに最多の黒星。セの2人は同球団

宇根夏樹ベースボール・ライター
東尾修 1977(写真:岡沢克郎/アフロ)

 1シーズンにリーグで最も多くの白星を挙げた「最多勝投手」が、別のシーズンにリーグで最も多くの黒星を喫した「最多敗投手」になることは、その順序はともかく、そう珍しいことではない。例えば、2020年にパ・リーグ最多タイの11勝を挙げた涌井秀章(東北楽天ゴールデンイーグルス)は、2007年(17勝)と2009年(16勝)、2015年(15勝)も最多勝の一方で、2011年はパ・リーグ最多タイの12敗を喫した。2020年にパ・リーグ最多の9敗を喫した有原航平(当時・北海道日本ハムファイターズ/現テキサス・レンジャーズ)は、2017年が最多敗(13敗)、2019年は最多勝(15勝)だ。

 なかには、同じシーズンに最多勝と最多敗という投手もいる。もっとも、こちらは7人しか記録していない。セ・リーグの2人は、どちらも同じ球団の投手だ。1970年に25勝19敗の平松政次は大洋ホエールズ、1984年に17勝17敗の遠藤一彦は横浜大洋ホエールズに在籍していた。この球団は、大洋ホエールズ→大洋松竹ロビンス→大洋ホエールズ→横浜大洋ホエールズ→横浜ベイスターズ→横浜DeNAベイスターズと変遷してきた。

筆者作成
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 最多勝投手=最多敗投手となった7人の防御率にはバラツキがある――シーズンやリーグの違いを考えると、数値そのものよりも順位の方がわかりやすい――ものの、いずれも多くのイニングを投げている。7人中6人のイニングはリーグ最多。1970年の平松も、江夏豊(337.2イニング)と5イニング差の2位だった。この年のセ・リーグで290イニング以上を投げた投手は、江夏と平松しかいなかった。7人とも、30試合以上に登板していて、先発に限っても、1937年秋に15勝15敗の野口明を除く6人は、30試合以上だ(1937年秋は1球団50試合未満)。完投も多く、いずれも二桁に達した。2001年に15勝15敗の松坂大輔(現・埼玉西武ライオンズ)が、7人のなかで最少の12完投。他の6人は、完投が15試合以上あった。

 また、2リーグ制となった1950年以降の6人は、他のシーズンにも最多勝のタイトルを獲得している。平松と遠藤と東尾修の3人は、最多敗も2度以上だ。平松は最多勝&最多敗の1970年に加え、1974年(16敗)と1976年(17敗)の計3度。遠藤も計3度だが、こちらは1979年(12敗)と1982年(17敗)に続き、最多勝&最多敗の1984年が3度目だった。東尾の最多敗はさらに多く、5度を数える。最多勝&最多敗の1975年を挟んで前後に2度ずつ、1971年(16敗)と1972年(25敗)、1977年(20敗)と1984年(14敗)に、最多敗投手となった。この3人は一度も移籍することなく、キャリアを通して同じ球団で投げ続けた。

 なお、防御率が低かった最多敗投手(2001年以降)については、こちらで書いた。

防御率2点台の「最多敗投手」たち。リーグ2位の防御率にもかかわらず、13敗を喫して白星は一桁の投手も

ベースボール・ライター

うねなつき/Natsuki Une。1968年生まれ。三重県出身。MLB(メジャーリーグ・ベースボール)専門誌『スラッガー』元編集長。現在はフリーランスのライター。著書『MLB人類学――名言・迷言・妄言集』(彩流社)。

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