日本の独立リーグでプレーした日本人メジャーリーガーたち。田澤純一の前にも10人以上いるが…
田澤純一が、ルートインBCリーグの埼玉武蔵ヒートベアーズに入団した。
日本人メジャーリーガーが日本に戻ってプレーするのは珍しいことではないし、なかには、日本の独立リーグでプレーした選手もいる。
独立リーグのデータは調べるのが難しく、見落としや不備があるかもしれないが、それがなければ、田澤は13人目12人目となる。なお、フリオ・フランコ(2015年/ルートインBCリーグ/石川ミリオンスターズ)やマニー・ラミレス(2017年/四国アイランドリーグplus/高知ファイティングドッグス)ら、日本人選手以外のメジャーリーガーは、ここには含めていない。
ただ、田澤の場合は事情が異なる。
2008年の秋、新日本石油ENEOSにいた田澤は、日本のドラフトで1位指名を受けることが確実視されていた。けれども、田澤は記者会見を開き、メジャーリーグ行きを表明した。日本プロ野球の12球団に、指名しないことを求める要望書もファックスした。
これに対し、日本プロフェッショナル野球組織(NPB)は、ドラフト対象選手が外国のプロチームと契約した場合、高校生は帰国から3年、大学・社会人は2年、日本プロ野球の球団と契約できないというルールを作った。社会人野球を統括する日本野球連盟は、翌年以降の適用とするよう(田澤を適用外とするよう)に申し入れたが、日本プロフェッショナル野球組織に拒否された。
ドラフト前にできたルールではあるが、そのドラフトの目玉となる選手がメジャーリーグ行きを言い出してから作ったという点からすれば、後出しじゃんけんのようなものだ。少なくとも、筆者はそう思う。けれども、俗に言う「田澤ルール」は、田澤自身にも適用される。
ちなみに、2008年のドラフトで田澤を指名する球団はなかった。その後、田澤はボストン・レッドソックスと契約を交わした。
昨シーズン、田澤はメジャーリーグでは登板できず、今春はマイナーリーグ契約のノン・ロースター・インバイティ(招待選手)としてシンシナティ・レッズのスプリング・トレーニングに参加していたが、3月上旬に解雇となった。メジャーリーグの他球団と契約しようにも、今シーズンのマイナーリーグは中止だ。
先月、田澤は34歳の誕生日を迎えた。とはいえ、「田澤ルール」が存在しなければ、契約に乗り出す日本プロ野球の球団もあったのではないだろうか。例えば、阪神タイガースや広島東洋カープなどは、ブルペンの立て直しが必要だろう。