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MVPやサイ・ヤング賞投手のトレードにおける「交換要員」は、MVPやサイ・ヤング賞投手になれたのか

宇根夏樹ベースボール・ライター
サミー・ソーサ July 27,1998(写真:ロイター/アフロ)

 MVP受賞者とサイ・ヤング賞投手が複数動いたトレードは、過去に1度しか成立していない。それについては「MVPをトレードで獲得すると、サイ・ヤング賞投手がついてくる!?」で書いた。

 ただ、MVP受賞者あるいはサイ・ヤング賞投手のトレードで交換要員となった選手が、後にそれらの賞を受賞した例は、いくつかある。調べたところ、ジョー・トーリ(1971年/MVP)、ドン・ベイラー(1979年/MVP)、マーク・デービス(1989年/サイ・ヤング賞)、サミー・ソーサ(1998年/MVP)の4人がそうだった。

 1931年にMVPを受賞したフランキー・フリッシュも、そこに加えていいだろう。1926年12月にロジャース・ホーンズビーがセントルイス・カーディナルスからニューヨーク・ジャイアンツへ移った際、フリッシュは他1名とともにジャイアンツからカーディナルスへ移籍した。ホーンズビーは1925年(と1929年)に、MVP(1931年~)の前身に当たる「リーグ・アウォード」を受賞している。

筆者作成
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 もっとも、フリッシュを含む5人のうち、「開花前の若手が大物の交換要員として移籍」という図式が当てはまるのは、デービスとソーサだけだ。フリッシュ、トーリ、ベイラーは、トレードの時点ですでに20代後半。3人とも、レギュラーとして数シーズンにわたってプレーし、トーリはオールスター・ゲームに5度選ばれていた(このトレード後は4度選出)。

 それに対し、デービスとソーサもメジャーデビューはしていたものの、トレードの時点では22歳と23歳だった。デービスは通算11登板に過ぎず、トレードされた1982年はAAAにいて、メジャーリーグでは投げていない。ソーサは1990年にレギュラーとなったが、翌年はその座を維持できなかった。通算327試合でホームランは29本だった(盗塁は52)。

 他に、トレードで入れ替わった選手2人が、どちらも後にMVPあるいはサイ・ヤング賞投手となった例もあり、デービスはこちらにも登場する。1987年の夏に7人が動いたトレードだ。サンフランシスコ・ジャイアンツから、デービスを含む4人がサンディエゴ・パドレスへ。彼らと交換に、ケビン・ミッチェルら3人が移籍した。1989年のナ・リーグMVPとサイ・ヤング賞は、ミッチェルとデービスがそれぞれ受賞した。

 また、18901980年12月のトレードでカーディナルスからミルウォーキー・ブルワーズへ移った2投手は、その後、いずれもサイ・ヤング賞投手となった。移籍1年目にローリー・フィンガースが受賞し、2年目はピート・ブコビッチが続いた。1981年のフィンガースは、MVPにも選ばれた。

筆者作成
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 なお、このトレードで2人とともに移籍したテッド・シモンズは捕手だが、フィンガースとバッテリーを組んだのはトレード後だけだ。フィンガースはこのトレードの4日前に、パドレスからトレードでカーディナルスへ移った。フィンガースは1992年に殿堂入り。28年後の今年、シモンズもそこに加わる。

ベースボール・ライター

うねなつき/Natsuki Une。1968年生まれ。三重県出身。MLB(メジャーリーグ・ベースボール)専門誌『スラッガー』元編集長。現在はフリーランスのライター。著書『MLB人類学――名言・迷言・妄言集』(彩流社)。

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