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2018年の殿堂入り。前回は惜しくも涙を呑んだ2人を「当確」とするのには根拠がある

宇根夏樹ベースボール・ライター
ブラディミール・ゲレーロ(モントリオール・エクスポズ)May 20, 2003(写真:ロイター/アフロ)

 今回、ホール・オブ・フェイマー(殿堂選手)を選ぶ記者投票には、33人の候補が挙がっている。前年の得票率が「5%以上75%未満」だった14人に、引退から5年を経た(2012年を最後にメジャーリーグでプレーしていない)19人が加わった。

 チッパー・ジョーンズジム・トーメイは、最初の投票で殿堂入りするだろう。チッパーは19シーズンにわたってアトランタ・ブレーブスでプレーし、中軸打者として黄金期を支えた。トーメイは歴代8位の612本塁打を放ち、薬物との関わりが浮上したこともなかった。通算1万打席以上の85人中、出塁率.400&OPS.900以上は9人。チッパーもトーメイも、そこに名を連ねている。

 2人に加え、それぞれ3度目と2度目の投票となるトレバー・ホフマンブラディミール・ゲレーロも、殿堂に手が届きそうだ。前回の得票率は74.0%と71.7%。殿堂入りには442人中332人の票が必要だったが、ホフマンは5票、ゲレーロは15票足りなかった。

 1968年から昨年までに、19人が「70%以上75%未満」の得票率を記録し、そのうち16人は翌年にホール・オブ・フェイマーとなった。残る3人のなかで、ネリー・フォックス(1985年/74.7%)とオーランド・セペダ(1994年/73.5%)は、この年が記者投票にかかる最後の年だった。従って、「70%以上75%未満の翌年に75%以上」が当てはまらないのは、実質的にはジム・バニング(1987年/70.0%、1988年/74.2%)しかいない。バニングはその後、3度の投票にかかったが、いずれも70%に達することなく、資格を失った。

 バニングと同じ道を辿らない限り、ホフマンとゲレーロは、晴れて殿堂入りを果たす。ちなみに、フォックス、セペダ、バニングは、ベテランズ委員会の選出により、3人とも殿堂に迎えられた。

 チッパー、トーメイ、ホフマン、ゲレーロの4人が揃って殿堂入りすれば、1947年、1955年、2015年と並び、選出者が2番目に多い年となる。これを上回るのは、タイ・カッブホーナス・ワグナーベーブ・ルースクリスティ・マシューソンウォルター・ジョンソンの5人(得票順)が「最初のホール・オブ・フェイマー」となった、1936年だけだ。

 投票は12月31日までに行われ、結果は1月24日に発表される。

ベースボール・ライター

うねなつき/Natsuki Une。1968年生まれ。三重県出身。MLB(メジャーリーグ・ベースボール)専門誌『スラッガー』元編集長。現在はフリーランスのライター。著書『MLB人類学――名言・迷言・妄言集』(彩流社)。

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