三塁手がいない緊急事態を乗りきったそれぞれの起用。ホットコーナーに「捕手」「左利きの一塁手」を配置
三塁を守る選手がいない――。8月に起きたこの緊急事態に対し、ニューヨーク・メッツのテリー・コリンズ監督とシカゴ・カブスのジョー・マッドン監督は、それぞれ異なる策を用いた。
メッツでは、8月16日の試合が始まる直前に、ウィルマー・フローレスとホゼ・レイエスが揃って左脇腹の痛みを訴え、スターティング・ラインナップから姿を消した。2人はこの日、三塁手と二塁手として出場するはずだった。
NJ.comのアビー・マストラッコの記事によると、キューバ時代に三塁を守ったことのあるヨエニス・セスペデスが、三塁出場を申し出たという。だが、セスペデスはいつもどおりにレフトを守った。本来は捕手であるトラビス・ダーノウが、故障中のデビッド・ライトのグラブを借りて三塁の守備につき、二塁には前日に続いてアズドゥルバル・カブレラが入った。
ダーノウは捕手以外のポジションについたことがなく、マイナーリーグでも一塁出場が2試合あるだけだった。コリンズ監督はダーノウの守備機会を減らすため、ダーノウとカブレラの守備位置を頻繁に入れ替えた。ダーノウは3B-2B-3B-2B-3B-2B-3B-2B-3B-2B-3B-2B-3B-2B-3B-2B-3B-2B-3Bと守り、二塁手としてフライを1度捕った。
カブスでは、8月22日の9回表に、三塁手のクリス・ブライアントが死球を受け、そのまま出塁はしたものの、9回裏の守備につけなくなった。この時点でベンチに残っていた野手は、捕手のレネ・リベラだけ。一塁手のアンソニー・リゾーが三塁へ移り、捕手のアレックス・アビーラが一塁に回って、リベラが捕手を務めた。9回表には、ブライアントに続いてリゾーもぶつけられたが、こちらは無事だった。
リゾーは左投げ左打ちの一塁手だ。試合途中から何度か二塁を守ったことはあるものの、三塁の経験はなかった。シカゴ・サンタイムスのゴードン・ウィッテンマイヤーらによると、左投げの選手が三塁の守備についたのは、1997年7月2日のマリオ・バルデス以来だという。9回裏、リゾーに守備機会が巡ってくることはなく、試合は終わった。
ちなみに、リベラは8月18日までメッツにいて、ダーノウが三塁を守った試合ではスタメンマスクをかぶった。また、バルデスは2004年に大阪近鉄バファローズでプレーした。
ダーノウは三塁手として先発出場したが、三塁と二塁を行き来した上、左ではなく右で投げる。リゾーとバルデスは1イニングしか三塁を守らず、どちらも守備機会はなかった。
左利きでありながら三塁手として先発出場した――もちろん守備機会もあった――最後の選手は、マイアミ・マーリンズで監督を務めるドン・マッティングリーだ。ニューヨーク・ヤンキースの一塁手だったマッティングリーは、1986年の夏に3日続けて三塁を守った。8月29日は5回裏に一塁から三塁へ移り、翌日のダブルヘッダー1試合目は5回裏まで三塁の守備についた(6回裏より一塁へ移った)のに続き、31日は三塁手としてフル出場した。
マッティングリーは18イニングで三塁を守り、13度の守備機会で1失策こそ犯したものの、2度にわたって併殺打(5-4-3)の起点となった。この3試合以外に、マッティングリーが三塁を守ることはなかった。
なお、クリーブランド・インディアンズのテリー・フランコーナ監督も、マッティングリーの前年に、左投げの三塁手となった。モントリオール・エクスポズの控え一塁手&外野手だったフランコーナは、シーズン最終戦の4回裏から7回裏まで三塁を守り、3本の内野ゴロ(5-3)を処理した。