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歴代ドラフト・トップピック(その4)1995~2004/オリックスのバリントンを含め、半数は今も現役

宇根夏樹ベースボール・ライター

6月8日のドラフトでアリゾナ・ダイヤモンドバックスからトップピック(全体1位指名)を受けたダンズビー・スワンソンは、どんなキャリアを築くのだろうか。1965~74年1976~84年1985~94年のトップピックに続き、今回は1995年から2004年までを紹介。彼ら10人のうち半数は、日本球界を含め、現在もプレーを続けている。

1995年 ダリン・アースタッド/外野手/カリフォルニア・エンジェルス

2000年に240安打を放ち、25本塁打と28盗塁、.355/.409/.541のスラッシュラインも記録した。この年の成績が突出しているが、一発屋ではなく、1998年もオールスター・ゲームに選出。ハードにプレーし、2000年と2002年は外野手、2004年は一塁手としてゴールドグラブを受賞した。現在は母校ネブラスカ大のベースボール・チームでヘッド・コーチを務める傍ら、卒業に向けて学業にも勤しんでいる。

1996年 クリス・ベンソン/右投手/ピッツバーグ・パイレーツ

妻のアナ・ベンソン(現在は元妻)の方が有名になり、影の薄さは否めなかった。メジャーリーグ9年間で206試合に投げ、70勝75敗、防御率4.42。引退後は投資会社で働き、現在は金銭面やスポーツ関係などのマネジメント会社を運営している。

1997年 マット・アンダーソン/右投手/デトロイト・タイガース

コンスタントに100マイル(約160.9km)以上を計時するハードボーラーで、2001年には22セーブを挙げたが、制球難が解消できなかった。2002年5月には、デトロイト・タイガースが試合前に催した蛸投げのプロモーション――茹でた蛸を下手投げで20フィート(約6.1m)先のバケツに入れる――に参加し、これが原因ではないらしいが、その日の試合中にブルペンでウォーミングアップをしていた時に、故障を訴えた。メジャーリーグの登板は2005年、マイナーリーグは2008年が最後。2011年にフィラデルフィア・フィリーズとマイナー契約を交わしたが、カムバックはできなかった。

1998年 パット・バール/三塁手/フィラデルフィア・フィリーズ

フィラデルフィア・フィリーズでレフトを守り、2001年から8年続けて20本塁打以上を放ち、うち4度は30本塁打もクリア。四球も8年連続70以上を記録したが、シビアなフィラデルフィアのファンを満足させるには至らなかった。マイアミ大で打棒を揮い、「パット・ザ・バット」と呼ばれていたことからしても、少し物足りなさが残る。メジャーリーグ12年間で記録した本塁打は、大学出身のトップピックでは最多ながら、300本に8本届かず。タイトルを獲得したこともなく、オールスター・ゲームにも選ばれなかった。2012年にフィリーズと一日契約を交わして引退。今年2月、フィリーズは「ウォール・オブ・フェイム」の37人目のメンバーとして、バールを加えることを発表した。式典は7月末に行われる。

1999年 ジョシュ・ハミルトン/外野手/タンパベイ・デビルレイズ

以前に「自伝の映画化よりも本人に注目。エンジェルスのハミルトンがコカイン再使用を経てレンジャーズ復帰へ」「天才打者ハミルトンを復活させるために、レンジャーズはエンジェルスからもう一人獲得すべきだったのでは」で紹介したように、そのキャリアは波乱に満ちている。今シーズンは、4月27日にロサンゼルス・エンジェルスからテキサス・レンジャーズへ移り、5月25日に初出場。29日に2打席連続ホームラン、31日には上原浩治(ボストン・レッドソックス)から代打サヨナラ二塁打を放ったが、現在は左太腿裏の故障によってDL(故障者リスト)に入っている。

2000年 エイドリアン・ゴンザレス/一塁手/フロリダ・マーリンズ

ペトコ・パークがオープンした2004年以降、サンディエゴ・パドレスの選手でシーズン40本塁打に達したのは2009年のゴンゾしかいない。30本塁打以上も、ゴンゾが2007年から4年続けてクリアした他は、2012年にチェイス・ヘッドリー(現ニューヨーク・ヤンキース)が記録しているだけだ。当時のパワーは少し減じた感があるが、今もなお、ロサンゼルス・ドジャースでスラッガーとして活躍している。一塁の守備にも優れ、ゴールドグラブは4度受賞。兄のエドガーも弟と同じ2000年のドラフト指名ながら、順位には大きな開きがあり、30巡目・全体886位。メジャーリーグでプレーしたのは弟とチームメイトだった2008~09年だけで、2010年と2012年は読売ジャイアンツで過ごした。

2001年 ジョー・マウアー/捕手/ミネソタ・ツインズ

数年前までは、これが映画のシナリオであれば「完璧すぎる」とボツにされそうなキャリアを歩んできた。出身地のセントポールは、ミネソタ・ツインズが本拠を置くミネアポリスとツイン・シティ(双子都市)。2006年と2008~09年の首位打者3度は、捕手としては最も多い。2010年3月には、捕手では史上最高総額となる8年1億8400万ドルの契約を手にし、おまけに、2013年にはツイン(双子)の娘たちも授かった。ただ、2011年以降は故障が増え、2014年より一塁手に転向。2009年には28本塁打を放っているが、それ以外のシーズンは15本塁打に届いたことがなく、契約は2018年まで残っている。

2002年 ブライアン・バリントン/右投手/ピッツバーグ・パイレーツ

メジャーリーグでは5年間に26登板(うち10先発)して、1勝9敗、防御率5.62。他の年のトップピックと比べると、ドラフト前の評価もそこまで高くなかった。2011~14年は広島東洋カープで過ごし、現在はオリックス・バファローズで投げている。

2003年 デルモン・ヤング/外野手/タンパベイ・デビルレイズ

今シーズンがメジャーリーグ10年目。昨シーズンに続き、ボルティモア・オリオールズでプレーしている。シーズン2桁本塁打は7度を数え、2010年は21本塁打を放った。時折、思い出したように爆発することがあり、2012年のリーグ・チャンピオンシップシリーズ(リーグ優勝決定シリーズ)では、4試合で17打数6安打、2本塁打、6打点を記録し、シリーズMVPに輝いた。また、ポストシーズン出場をかけたタイ・ブレイクの試合に縁があり、2008~09年はミネソタ・ツインズ、2013年はタンパベイ・レイズで、チームのシーズン163試合目に出場している。兄のドミトリーは1991年のドラフト全体4位。

2004年 マット・ブッシュ/遊撃手/サンディエゴ・パドレス

ドラフト指名の直後に、ナイトクラブで乱闘を起こしたのを皮切りに、その後も問題行動を多発。2012年には酒に酔って運転しただけでなく、老人を轢き逃げし、現在は違う“ユニフォーム”を着て服役している。野手としても、2007年途中に転向した投手としても、メジャーデビューはしていない。

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ベースボール・ライター

うねなつき/Natsuki Une。1968年生まれ。三重県出身。MLB(メジャーリーグ・ベースボール)専門誌『スラッガー』元編集長。現在はフリーランスのライター。著書『MLB人類学――名言・迷言・妄言集』(彩流社)。

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