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メジャーリーグのロゴをデザインした人物が死去

宇根夏樹ベースボール・ライター

5月29日、ニューヨーク・タイムズが訃報を伝えた。「ジェリー・ディーオー、メジャーリーグ・ベースボールのロゴのデザイナー、82歳で死去」

左が青、右が赤の背景に、バッターの上半身とボールが白いシルエットで描かれている、あのロゴをデザインした人物だ。ディーオーの綴りは、クリスチャン・ディオールと同じである。

1968年にデザインされ、翌年のメジャーリーグ100周年に合わせて登場したこのロゴは、モデルになった選手が誰なのかについて、長年にわたる論議を呼んできた。なかでも、有力視されたのは、ハーモン・キルブルーだった。

キルブルーは1954年からワシントン・セネタース/ミネソタ・ツインズ(1961年に移転・改名)一筋に22年間プレーし、573本塁打を放った。1984年に殿堂入りしている。今日の知名度はやや低い――特に「ハーモン・キルブリュー」と表記されることもある日本においては――ものの、キルブルーは1960年代を代表するスラッガーだった。本塁打王は1959~69年の11年間に6度。1960年代に記録した393本塁打は、ハンク・アーロン(375本)やウィリー・メイズ(350本)を上回り、最も多かった。

キルブルーをモデルとする説の根拠には、1963年のツインズのイヤーブックが挙げられた。その表紙になっているキルブルーのイラストを左右反転させ、ロゴにしたという説だ。キルブルー本人も、自分がロゴのモデルだと信じていたらしい。キルブルーは2008年に「1960年代終盤のある日、コミッショナーのオフィスに行った時、自分の写真とスケッチ用の鉛筆を持った人物がいた。MLBの新しいロゴをデザインしているということだった。しばらくしてロゴが登場し、それは自分に似ていた」とESPNのポール・ルーカスに語っている。

だが、ディーオーの意見は異なる。キルブルーのインタビュー記事が出る数週間前に、デビッド・デービスがウォール・ストリート・ジャーナルに発表した記事によれば、キルブルーがロゴのモデルだという説をラジオで聴いたディーオーは、息子に向かって「真実はまったく違う。あれはハーモン・キルブルーじゃない。特定の選手じゃないんだ」と言ったという。ディーオーは翌年に「MLBトゥナイト」というテレビ番組に出演した時も、ハロルド・レイノルズが「ハーモン・キルブルー?ミッキー・マントル? 誰なんだい」と訊ねたのに対し「誰でもない。グラフィック・デザインさ」と答えている。

キルブルーは、コミッショナーのオフィスにいた人物の名前は知らないという。ロゴのシルエットは、キルブルーだけでなく多くの打者の構えに似ている。

ウォール・ストリート・ジャーナルの記事が出るまでは、ディーオーがこのロゴをデザインしたことも知られていなかった。「リージョン・オブ・スーパーヒーローズ」のイラストレーションで知られるジェームズ・シャーマンがデザインしたという説もあった。デザイン当時、ディーオーは会社に属していた。MLB機構がロゴについて、ディーオーのデザインであることを公式に認めたのは、登場から40年後、2009年のことだった。ディーオーが「MLBトゥナイト」のスタジオに呼ばれたのは、その後である。キルブルーもディーオーも、このロゴからロイヤリティは得ていない。キルブルーは2011年に74歳で亡くなった。

なお、1982年に創設されたMLBPAA(メジャーリーグ同窓組合)のロゴ――右打者がスウィングを始めてから打つまでのシルエット3ポーズを連続写真のように並べている――は、キルブルーをモデルとしている。また、MLBのロゴよりもわずかに遅れて登場したNBAのロゴは、ロサンゼルス・レイカーズでプレーしていたジェリー・ウエストがモデルだ。NBAのロゴをデザインした人物が設立した会社のホームページには、NBAのコミッショナーがMLBのようなロゴを欲したことが記してある。

ベースボール・ライター

うねなつき/Natsuki Une。1968年生まれ。三重県出身。MLB(メジャーリーグ・ベースボール)専門誌『スラッガー』元編集長。現在はフリーランスのライター。著書『MLB人類学――名言・迷言・妄言集』(彩流社)。

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