トニー・グウィンが54歳の若さで死去。彼は4割打者になっていてもおかしくなかった
2014年6月16日、トニー・グウィンSr.が亡くなった。死因は唾液腺癌。54歳だった。
グウィンはサンディエゴ・パドレス一筋に20年間プレーし、首位打者を8度獲得した。パドレスが進出した2度のワールドシリーズに、いずれも出場したのはグウィンだけだ。2007年にはカル・リプケンJr.とともに、資格初年度の投票で殿堂入りしている。
個人的には、5度目の首位打者を手にした1994年が印象深い。グウィンの打率は8月11日の時点で.394。開幕から一日も3割を下回ることなく、4月23日以降は.375以上を保っていた。
ただ、8月12日に選手会がストライキに突入し、シーズンはそのまま打ち切られた。1941年のテッド・ウィリアムズ以来となる、4割打者の夢は潰えた。
拙著『MLB人類学』でも触れたが、ウィリアムズがグウィンに向かって「打率4割がそんなに大したことなら、もっと何度もやってのけたのに」と語った時に、グウィンは、シーズンが最後まで行われたなら、自分も「間違いなく達成できた」と言ったという。
この年は、マット・ウィリアムズ(サンフランシスコ・ジャイアンツ)とケン・グリフィーJr.(シアトル・マリナーズ)も、ロジャー・マリスのシーズン61本塁打を超えようかというペースで打ちまくっていた。ウィリアムズは43本、グリフィーは40本。グリフィーは翌年の開幕前に「多くの選手が素晴らしいシーズンを送っていた。だけど、いい年を過ごすには、悪い年を選んでしまった」と振り返った。
選手だけではない。モントリオール・エクスポズは両リーグ・ベストの勝率.649(74勝40敗)を残し、ナ・リーグ東地区で、2位のアトランタ・ブレーブスに6ゲーム差をつけていた。1994年はポストシーズンも開催されなかった。
あれから20年が経つ。エクスポズは閑古鳥の鳴くモントリオールから去ってワシントン・ナショナルズとなり、ウィリアムズはそのナショナルズで監督を務めている。けれども、享年54歳はあまりにも早すぎる。
R.I.P. ミスター・パードレ。