Yahoo!ニュース

NPB&MLB「新型コロナで野球のない日々」は、天災やストでの際と何が違うのか?

豊浦彰太郎Baseball Writer
ドジャー・スタジアムで40年ぶりに開催予定の球宴も危ぶむ声が上がっている。(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)

まったく出口が見えない。

3ケ月前に新年を迎えた時、こんなことには考えも及ばなかった。われわれの周囲には、遂にやってきたオリンピックイヤーへの期待と興奮しかなかった。

今回の学びは、10年に一度くらいの頻度で、とんでもない全く想像もできない事態は起こり得る、ということだ。21世紀以降に限定しても、9年前には東日本大震災があり、その10年前には911同時多発テロがあった。

しかし、現在われわれが直面している新型コロナウィルス感染症問題には、それら2つとは決定的な違いがある。

テロにせよ、自然災害にせよ、最悪の事態はある意味瞬間的で、それが過ぎ去った後は途方もない悲しみや苦難は待ち受けているのだけれど、基本的には復興に向かい少しずつ前進していく。それに対し、今のぼくたちには冒頭記したように出口が見えない。これからもっと状況は悪化するかもしれないし、いつまで耐えれば良いのか全くわからない。

論点を野球界に限定してみよう。

日本では、戦後野球のない夏(盛夏という意味ではなく、本来野球のない「冬」に対する反意語と考えて欲しい)はほとんどなかったと言って良い。東日本大震災の時は、「なるべく早く普段の生活を取り戻そう」という動きの中でセンバツも開催されたし、プロ野球も18日遅れで開幕した。2004年の選手会ストライキにおいても、中断は2日間だけだった。

一方、アメリカの場合はそうではなかった。彼の地での「野球のない夏」は主として労使対立によるものだった。1981年には6月12日から49日間にわたりシーズンが中断されたし、1994年の8月から翌年4月までの史上最悪のストはワールドシリーズまでも中止に追い込んだ。

ただし、メジャーでの過去2度のストによる中断と今年のケースには決定的な違いがある。ストによる中断の終了は、労使の妥結として定義できる。その後は即再開が可能だ(選手はベストコンディションとは程遠いかもしれないが、その間それなりにトレーニングも継続している)。

それに対し、感染症の場合は「目に見えない敵との戦い」だけに、どの段階でGOサインを出せるのかだれもわからない。もちろんそれにはWHOあたりの収束(終息ではなく)宣言が前提になるのだとは思うが、その後に蔓延がぶり返さないという保証もない。そうすると(野球に限らず)日常生活への復帰はある瞬間をもって始めることができるものではなく、それなりに注意深く恐る恐る薄氷を踏む思いで、段階的に進めていくしかないのだと思う。

しかも、「自粛」なり「外出禁止期間」の間、選手たちは室内トレーニング以上のことはできない。野球をファンが取り戻すには、相当な長期戦を覚悟しなければならないだろう。

NPBは4月3日に、それまで目標にしていた4月24日開幕の断念を発表した。メジャーも仕切り直しの開幕は、当初は4月、その後5月とプッシュバックされ、そろそろオールスターの中止すら噂され始めている。

1981年のストの際は、7月14日にクリーブランドで開催予定だったオールスターゲームも一旦キャンセルされた(その後、ストの終焉とともに8月9日に開催されれ、翌日からペナントレースも再開された)が、その際には広いクリーブランド・スタジアムでファンによるサイコロゲームでの代替えオールスターゲームが開催された。

試合前には米国歌が演奏され地元の元大スターであるボブ・フェラーのサイコロ一振りが始球式としておこなわれた。そして、ゲームの模様はラジオで中継された。これは、忌まわしきストで最愛のベースボールを奪われたファンの精いっぱいの皮肉であり、パロディだった。

また、このストライキを背景に作家のW・P・キンセラは「Thrill Of The Grass 」(天然芝の喜び)というすばらしいファンタジーの短編を書いた。キンセラは、映画「Field Of Dreams」の原作になった「Shoeless Joe」の著者で、野球を題材にしたおとぎ話を得意としている。

この小説は、ストライキ中に真に野球を愛するファンが毎晩球場に忍び込み、無味乾燥な人工芝を剥がし手製の天然芝に張り替える、というストーリーだ(当時のアメリカは人工芝球場が全盛で、それを嘆く声も出始めていた)。そのファンに呼応する者が少しずつ増え続け、ストが終わり選手が球場に戻って来るとフィールドは美しい天然芝に変わっていたという、ありえないがほっこりさせられる結末だ。

しかし、今回の新型コロナウィルス問題では、ここに紹介したようなパロディもおとぎ話も成り立ちそうにない。野球ファンにとっては、桜が咲き、散る時期を迎えても、なお冬に閉ざされているようなものだ。

日本でもアメリカでもプロ野球は日常である。今日負けても明日がある。偉大なるマンネリズムなのだ。あたりまえの存在が目の前から消え、いつ戻って来るかもわからない。過去の自然災害やストによる遅延や中断とは異なり、人の英知や意志は必ずしも現在直面している問題解決の直接要因とはなり得ないからだ。今のぼくたちにできるのは、この週末も外出を控えることしかない。

Baseball Writer

福岡県出身で、少年時代は太平洋クラブ~クラウンライターのファン。1971年のオリオールズ来日以来のMLBマニアで、本業の合間を縫って北米48球場を訪れた。北京、台北、台中、シドニーでもメジャーを観戦。近年は渡米時に球場跡地や野球博物館巡りにも精を出す。『SLUGGER』『J SPORTS』『まぐまぐ』のポータルサイト『mine』でも執筆中で、03-08年はスカパー!で、16年からはDAZNでMLB中継の解説を担当。著書に『ビジネスマンの視点で見たMLBとNPB』(彩流社)

豊浦彰太郎の最近の記事