ヤクルト小川監督退団に見る「進退伺い」という虚礼

(写真:GYRO PHOTOGRAPHY/アフロイメージマート)

ヤクルトの小川淳司監督が今季限りで退団するようだ。本人にはねぎらいの言葉を掛けてあげたいが、そのプロセスは日本的な魑魅魍魎だ。契約最終年でありながら「辞意」を表明し、かつ残り試合の指揮を執るというのは矛盾している。また、これに「進退伺い」という虚礼が付随している。

低迷するヤクルトの小川監督が、次期監督の有力候補と見なされていた宮本慎也ヘッドコーチともども辞任の意向を固めたようだ。すでに複数の媒体が報じている。

チームの成績というものは、首脳陣の能力や情熱だけではどうなるものでもない。プレイするのは選手だし、彼らの好不調や健康状態など首脳陣のコントロール外の要因も多い。彼らは結果責任を取ったということだ。

しかし、極めて日本的であり、かならずしも賛同できないのが小川監督が球団に提出した「進退伺い」というヤツだ。何も小川監督を責めているのではない。これは日本の文化みたいなもので、小池百合子東京都知事もかつて自民党に対し「進退伺い」を出した。

個人的には、あるポストを任された者は雇用者(又は契約相手)からお払い箱になるまで業務を貫くべきだと思うし、ホントに組織の不成績の責任は自らに在り、と思うなら進退を委ねるのではなくスッパリ辞めるべきだと思う。

もちろん進退伺いなるものはお互いのメンツを尊重し円満離脱っぽいプロセスを演出するためのものだが、その分責任の所在が不明確になるし、今後有効な手立てを講じるという観点からもあまり感心しない。

小川監督には「ご苦労様でした」という言葉を掛けてあげたいが、そもそも彼は今年が2年契約の最終年だった。この時期に進退伺いを出すという行為と、今季の残り試合も指揮を執るという意向は(NPBでは良くあることだが)、整合性が取れていないように思う。彼が球団に表明したのは、「再契約の意向はありません」ということに過ぎないことになる。このことからも、「進退伺い」とはセレモニーに過ぎず、ある意味「虚礼」だということがわかる。

退団の意向を表明するのはシーズン終了後でも良かったのではないか。契約満了に伴う退団だと、不成績の責任を取りたい、という意向が伝わらない、ということだろうか。これがシーズン終盤ではなくもっと早い時期だったりしたら、「休養」というこれまた一層摩訶不思議な対応が取られたのかも知れない。