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今日が命日。『フィールド・オブ・ドリームス』、「シューレス」・ジョーの素顔

豊浦彰太郎Baseball Writer
野球殿堂で、ジャクソンも連座とされる八百長事件関係の展示品を手にするオバマ大統領(写真:ロイター/アフロ)

今日は12月5日。アメリカ現地時間のこの日はあの「シューレス」・ジョー・ジャクソンの命日だ。1951年のその日、ジャクソンはこの世を去っている。

多くの方は彼のことを1919年のワールドシリーズでの八百長事件である「ブラックソックス・スキャンダル」に連座し、永久追放となった8人の内の1人として認識しているだろう。

そして、ギャングからカネを受け取ったことを認めた彼に対し少年ファンが「ウソだと言ってよ、ジョー!(Say it ain’t so, Joe!)」と叫んだという神話(そういう事実はないとする説が一般的)や、映画「フィールド・オブ・ドリームス」でとうもろこし畑からケビン・コスナー演じるレイ・キンセラが作り上げた「夢の球場」に亡霊として現れたことも同じくらい有名かもしれない。

ここではそのジャクソンをプレーヤーとして、そして人間として解説してみたい。

ジョー・ジャクソンは1887年(88年とも89年ともする説もある)7月16日にサウスカロライナ州の田舎町に8人兄弟の長男として生まれている。

父は日当1ドル25セントで働く線維工場労働者だったようで、ジョーも生涯学校に行くことなく6-7歳のころから工場で働き家計を助けたようだ。

そして、その工場の野球チームでプレーするようになり、この街にマイナーリーグ球団(現在は存在しないD級という最下級リーグ所属だ)ができた際にその球団と月給75ドルで契約しプロ選手となり、15歳の少女と結婚した。

そして、マイナーリーグでプレーしている間に、有名な「シューレス」というニックネームを得ている。

ある日、新しいスパイクがフィットしないためソックスのままでプレーしたためだ。

余談だが、日本のメディアでは「シューレス」を「裸足の」と訳し紹介しているケースが目に付くが、あくまでも彼は「靴を履いていない」だけでソックスでプレーしている。

「シューレス」と「裸足の」は概念として異なることを指摘しておきたい。

彼のメジャーキャリアはフルシーズンとしてはわずか9年しかない。メジャー定着まで3年を要している(生まれながらのカントリー・ボーイだったため、ホームシックで帰省を繰り返したためとも言われている)ことと、第一次対戦中の18年はプレーせずデラウエア州の造船所で働いたこと、そして生涯最高の成績を挙げた20年限りで永久追放となったためだ。

メジャーデビューは当時フィラデルフィアに本拠地を置いていたアスレチックスだが、定着したのはその後移籍したクリーブランド・ナップス(現インディアンス)だった。

11年に初めてフルシーズンを過ごしたジャクソンは233安打を放ち、打率.408を記録している。

ちなみにこの233安打は長い間ルーキーによるメジャー記録だったのだが、これが「発見」されたのは2001年にイチローが242安打を記録したことに依る。

また、打率4割を超えながら首位打者にはなれなかった。

この年、タイ・カッブが.420と打ちまくったためだ。

実は、アンラッキーなのはこの年だけでなく、通算打率.356はカッブ(.367)、ロジャーズ・ホーンスビー(.358)に次ぐ歴代第3位でありながら、首位打者となったことは一度もない。

ホワイトソックスに移籍後の「ブラックソックス・スキャンダル」については多くを述べるまでもないだろう。

そして、その背景のひとつが当時のオーナー、チャールズ・コミスキーの吝嗇ぶりだったことも比較的有名だ。

実際、この頃ジャクソンを始めとするチームメンバーの年俸は安く抑えられていたのだが、その理由のひとつが当時のメジャーリーガーの多くが読み書きができず、契約交渉も経営側の言いなりだったことだと言われている。

チームオーナーから、何が書かれているのかも理解できない契約書にサインさせられていたのだ。

読み書きができないジャクソンは、遠征先の朝食ではウエイターからメニューを渡されるとそれを一瞥する「ふり」をして、どこでも必ず用意されている「Ham & eggs」をオーダーしていたという。

また、夕食では周囲の客が何を注文するか耳をそばだててから同じものを注文したそうだ。

こんなエピソードもある。

ある日、クリーブランドでのアウエイでのゲームでのこと。三塁後方の席に陣取った女性客が、彼が読み書きをできないことを知った上でこんな野次を浴びせたそうだ。

「ミニシッピ(Mississippi)のスペルを言ってみろ!」

それに対し、次の打席で三塁打を放ったジャクソンは三塁に滑り込むと、その後方に位置するその女性にこう言い放った。

「やい!トリプルのスペルを言ってみろ!」

彼は、長ったらしいMississippiとは異なり、トリプルのスペルはtripleと短く簡単であることも知らなかったのだ。

なお、ブラックソックス・スキャンダルでジャクソンがチームメイトのチック・ガンディル一塁手経由でギャングから八百長を持ちかけられたことと、5000ドルを受け取ったことは紛れもない事実だが、実際に八百長をしたかどうかは諸説が飛び交っている。

前述の「フィールド・オブ・ドリームス」でも主人公のキンセラが「八百長はしていない。なぜなら彼はワールドシリーズで打率.375を記録し、チーム唯一の本塁打も打っているからだ」と語る場面がある。

しかし、その一方でこんな意見を主張する野球史家もいる「彼は自軍が勝利した3試合では打率.545ながら敗戦の5試合では.286で最初の4敗では.267でしかない」(この年のシリーズは5戦先勝制だった)。

要するに事実は闇の中だ。

メジャーの舞台から消えたジャクソンは、その後南部のセミプロ球団でプレーを続けた。

晩年は酒屋を経営し生活の糧としていたという。

Baseball Writer

福岡県出身で、少年時代は太平洋クラブ~クラウンライターのファン。1971年のオリオールズ来日以来のMLBマニアで、本業の合間を縫って北米48球場を訪れた。北京、台北、台中、シドニーでもメジャーを観戦。近年は渡米時に球場跡地や野球博物館巡りにも精を出す。『SLUGGER』『J SPORTS』『まぐまぐ』のポータルサイト『mine』でも執筆中で、03-08年はスカパー!で、16年からはDAZNでMLB中継の解説を担当。著書に『ビジネスマンの視点で見たMLBとNPB』(彩流社)

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