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プーチンは飼い犬に手を噛まれたのか、謎が多いプリゴジンの反乱劇

田中良紹ジャーナリスト

フーテン老人世直し録(703)

水無月某日

 ロシアの民間軍事会社ワグネルの指導者プリゴジン氏が、23日深夜に「武装蜂起」を宣言し、モスクワに向けて部隊を進軍させたことから世界は大騒ぎになった。

 これに対しプーチン大統領は24日午後にテレビ演説を行い、プリゴジンの行動を「裏切り」と非難し、「厳正に対処する」と処罰する考えを明らかにした。

 フーテンはそれを見て戦前日本の「2・26事件」を思い出した。「2・26事件」とは、陸軍が「統制派」と「皇道派」に分かれていた頃、「皇道派」の一部将校が天皇の周囲にいる「君側の奸」を排除し、天皇を担いで社会改革を実現するため、兵隊を動員して東京中心部を占拠、要人を襲撃したが、天皇の逆鱗に触れて「反乱軍」とされ、3日後に鎮圧されたクーデター未遂事件である。

 プリゴジンもプーチンの周囲にいるショイグ国防相やゲラシモフ参謀総長の更迭を求めて武装蜂起したが、それがプーチンの逆鱗に触れた。そのため「反乱」は早期収拾に向かうだろうとフーテンは予想した。

 実際、プリゴジンはモスクワの200キロ手前で進軍を中止し「反乱」は1日で収束した。ロシアのペスコフ報道官は、ベラルーシのルカシェンコ大統領の仲介でプリゴジンはベラルーシに出国し、プリゴジンに対する捜査も中止されると発表したが、その後プリゴジンの消息は不明である。

 「飼い犬に手を噛まれた」プーチンの権威は地に落ち、求心力の低下は免れないとして、西側メディアではプーチン体制の弱体化を連日報道している。しかし今回の反乱劇は謎だらけで、フーテンは少し冷静に考えた方が良いと思っている。それは報道がいずれも「プーチンの終わり」を前提に組み立てられているからだ。

 フーテンも今回の反乱劇でプーチンが傷ついたことは否定できないと考えている。しかし本当に「終わりの始まり」になるかは、反乱劇の内実がまだよく分からないので軽々に言えない。判断はロシアで9月に行われる統一地方選挙と来年3月の大統領選挙でロシア国民が下すはずだ。

 フーテンは24日午後から米国のCNNテレビを見続けたが、この反乱劇でCNNのキャスターが真っ先に関心を寄せたのは、米国の情報機関が事前に知っていたかどうかだった。答えは「知らなかった」ということだった。

 次に関心が寄せられたのは、プーチン体制の不安定化で核戦争が起こる可能性を米国政府はどう見ているかである。核保有国の政治が不安定化することは核戦争や核拡散の危機を招くから当然の疑問と言える。

 ソ連崩壊の時に米国政府はその恐怖を嫌と言うほど味わった。国民レベルではソ連の共産主義が米国の民主主義に敗れたとして歓喜の声が巻き起こったが、米国政府はそれどころではなかった。ソ連によって厳しく管理されてきた核技術や核科学者が他国に流出する恐れがあったからだ。

 現実に米国政府は中東や北朝鮮で秘かに始められた核開発の脅威に対抗しなければならなくなった。冷戦時代はソ連の核だけに集中すれば良かったが、冷戦後はより複雑な世界に対応せざるを得なくなる。バイデン政権はウクライナ戦争でプーチンの弱体化を図ろうとしているが、弱体化が過ぎると逆に世界の平和は脅かされることになる。

 そして当初のCNN報道は、ルカシェンコ大統領に仲介する力などあるはずがないので、プーチンが仲介役に仕立て、プーチンの描いたシナリオでプリゴジンはベラルーシに出国させられると見ていた。

 ところが時間が経つと見方が変わってくる。プーチンの権威を失墜させようとする思惑からか、ルカシェンコに仲介してもらわなければ事態を収拾できなかったという報道が多くなる。

 また米国の情報機関は知らなかったとされていたのが撤回され、米国は知っていたという報道が相次いだ。プリゴジンの「武装蜂起宣言」の2日前には米国政府の上層部に報告が上がっていたというのだ。それはプーチン大統領が知るよりも早かったという。では米国はどこからその情報を得たのか。

 ロシアのラブロフ外相は26日、プリゴジンの反乱劇に米国や西側の情報機関の関与がなかったかを調査していると発言し、駐ロシア米国大使から「関与していない」というシグナルを得たことを明らかにした。この点についてバイデン大統領は初めて反乱劇に言及し、「米国が関与しているという見方は許されない」と強く関与を否定した。

 しかしプリゴジンがショイグ国防相やゲラシモフ参謀総長に不満を抱き、激しく対立していたことは周知の事実だから、プリゴジンが率いるワグネルに米国の工作員を送り込むのは米国のやりそうなことだ。

 例えば米国務省の元役人でベトナム戦争に反対し国務省を退職した後、一貫して米国の国家犯罪を告発し続けたウイリアム・ブルム氏が書いた『アメリカの国家犯罪全書』(作品社)を読むと、こういうくだりが出てくる。

 カーター大統領の国家安全保障顧問だったズビグニュー・ブレジンスキーは1998年のインタビューで、米国がアフガニスタンの反体制派に軍事援助を与えたのは、1979年のソ連侵攻後であるという公式発言が「嘘」であることを認めた。

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ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■オンライン「田中塾」の次回日時:5月26日(日)午後3時から4時半まで。パソコンかスマホでご覧いただけます。世界と日本の政治の動きを講義し、皆様からの質問を受け付けます。参加ご希望の方は https://bit.ly/2WUhRgg までお申し込みください。

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