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気球撃墜という選挙パフォーマンスに大騒ぎする愚かな人々

田中良紹ジャーナリスト

フーテン老人世直し録(692)

如月某日

 2月1日に米国のモンタナ州上空を白い気球が飛行しているのが目撃され、2日に米国防総省はそれが「中国の偵察用気球であることを確認した」と発表した。

 これに中国外務省の報道官は「民間の気象観測用気球である」と主張、遺憾の意を表明しながらも偵察用だとする米国の発表を否定し、「冷静な対応と慎重な処理を望む」と述べた。

 すると米国内でトランプ前大統領をはじめ野党共和党から「早く撃墜しろ」との声が上がり、ホワイトハウスは「バイデン大統領が1日に撃墜を指示したが、気球を撃ち落とした場合、地上に危険が及ぶと軍が反対したので見送った」と発表した。

 4日に中国を訪問する予定だったブリンケン国務長官は、「明確な主権の侵害に当たる」として「中国訪問を延期する」と発表、しかし「中国側との対話のチャンネルを維持する姿勢は変わらない」と述べた。

 これに対し中国共産党で外交を統括する王毅政治局員は3日夜、ブリンケン国務長官と電話会談したことを明らかにし、バイデン政権との対話を継続する姿勢を示す一方、「中国を攻撃し中傷することには断固反対する」と野党共和党の動きをけん制した。

 気球が米国本土からサウスカロライナ州沖に出た4日、米国防総省は新型戦闘機F22の空対空ミサイルで気球を撃墜し、「残骸を回収して気球が中国の偵察用であったことを解明する」と発表した。

 この撃墜に中国側は強く反発、対抗措置も辞さない構えを見せた。気球撃墜は米中間に新たな対立をもたらし、気球発見がブリンケン国務長官訪中の直前だったことで、それを阻止する狙いがあったのではないかという憶測を生んだ。

 中国軍が習近平国家主席に知らせずに気球を飛ばせたという説が流れた。習近平国家主席は軍を掌握し切れていないというのである。しかし国務長官の訪中直前を狙ったと言っても、遠い中国本土から米国本土上空にある気球を自由自在に操れる技術を中国軍が開発したとすれば大変な話だ。

 気球にプロペラがついているといっても基本的に気球は風任せである。とてもそんな技術を中国が持っているはずはないとフーテンは思った。しかもバイデン大統領は最初から「安全保障上の問題はない」と明言している。

 つまり気球は米国の安全を脅かすものではないのだが、しかし共和党や米国メディアが大々的に騒ぎ出し、専門家が過去にさかのぼって気球と戦争を結び付けた。そして領空侵犯したのだから撃墜するのは当然で、撃墜しなければならないという空気が作り出されていった。

 バイデン政権は4日に続いて10日にアラスカ上空、11日にカナダ上空、12日に五大湖の上空で3つの飛行物体を撃墜した。いずれも外国から侵入したかどうか分からない正体不明の物体である。後に中国からの気球ではないと結論付けられた。つまり米国の気象観測用か研究用の気球だ。米軍機は中国におびえて自国の気球を撃墜したことになる。

 14日のワシントン・ポスト紙によると、米軍と米国諜報機関は1月末に中国の海南島から離陸した気球を1週間にわたり追跡した。気球はグアムの上空を飛行しようとしたが、強風で北に向かい、アリューシャン列島上空で米国本土に押し込む強風に遭遇したという。つまり中国がグアム上空に飛ばそうとしていた偵察気球が米国本土に至ったというのだ。

 この報道から見ても気球は風任せで、偵察目的の気球だとしても、米軍機が撃墜したのは安全保障上の理由より、大統領選挙を来年に控えたバイデン大統領が国民大衆を納得させるためのパフォーマンスに過ぎない。おかげで米国の気球まで撃墜された。そんなパフォーマンスをやらなければならない米国の民主主義は末期症状だとフーテンは思った。

 偵察やスパイ活動はこっそりとやるものだ。素人に目撃されるのを承知でわざわざ青空をバックに白い気球を使った偵察を、スパイ活動と呼べるのだろうか。米軍と米国諜報機関は、1週間も気球を追跡していたのだから、偵察監視の活動としてはそれで十分だった。

 スパイを摘発する基本は、スパイを逮捕したり殺すことではない。泳がせて監視し組織の全容を突き止めるのが目的だ。逮捕したり殺したりすれば、こちらの知らない新たなスパイ網が作られ、かえってマイナスになる。

 だから今度の撃墜はスパイ戦としては無意味だとフーテンは思う。しかし選挙を前に無知な大衆を納得させるにはやらざるを得なかった。10年余米国を見てきたフーテンは米国民に不思議な国民性を感じる。「誰かに攻撃される」という被害妄想が常に存在するのである。

 ハリウッド映画を見れば分かるように、西部劇は「インディアンに襲われる」という設定である。冷戦の時代には「ソ連に襲われる」という映画がどんどん作られた。冷戦が終わると「宇宙人に襲われる」というSF映画が盛んになる。とにかくいつの時代も「誰かに襲われる」という設定を米国人は好む。だからメディアは白い気球に飛びついた。

 偵察スパイ活動を国際法違反とか領空侵犯と非難しても、どの国だって自国の安全のためには偵察スパイ活動を行っている。国際法違反を犯していない国が世界中に存在するだろうか。あるとすればただ消滅していくだけである。

 世界の中でとりわけ偵察スパイ活動に力を入れているのは米国だ。CIAで諜報活動に従事したエドワード・スノーデン氏の暴露がそれを如実に物語る。米国は諜報のためなら人権を完全に無視する。米国民の個人情報のみならず、世界から米国を訪れた外国人の個人情報はすべて抜きとられ、当局の監視下に置かれる。

 日本が米国に逆らえば、日本国内の電源やインフラをすべて停止できる設定にしたと、日本の米軍基地で勤務したことのあるスノーデン氏は語っている。中国は米国の真似をして偵察活動に本腰を入れ始めたが、まだ米国の域には達していないと思う。

 だからフーテンには気球撃墜が馬鹿馬鹿しいパフォーマンスにしか見えないのだ。ところがそれが早速日本にも伝播した。日本でも白い気球が目撃された過去があるため、日本の防衛には「穴」が開いていたと言い出す政治家がいて、撃墜するための法改正が検討された。

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ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■「田中塾@兎」のお知らせ 日時:4月28日(日)16時から17時半。場所:東京都大田区上池台1丁目のスナック「兎」(03-3727-2806)池上線長原駅から徒歩5分。会費:1500円。お申し込みはmaruyamase@securo-japan.com。

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