フーテン老人世直し録(620)

霜月某日

 岸田総理就任後初の首脳級賓客としてベトナムのファン・ミン・チン首相が22日夜に来日し24日に岸田総理と会談することになっていた。ところがその前日の23日にファン・チン・ミン首相が会談した相手は菅前総理と二階前幹事長である。

 菅前総理は総理就任後初の外遊先としてベトナムを訪れており、また二階前幹事長は日越議員連盟の会長であることから、ベトナム側には礼を尽くす必要があったのか、総理より前に会談が設定された。

 しかし10月に行われた自民党総裁選で一敗地にまみれた菅前総理と二階前幹事長が、そろって外交の表舞台に登場した姿を見ると、2人とも権力を失ってはおらず、自民党内権力闘争は継続中であることをフーテンに感じさせる。

 そうさせているのは岸田総理である。思い通りの政権運営をするには、自民党最大派閥の会長に就任した安倍晋三の影響力を削ぐ必要がある。そのための思い切った一手が、安倍派の中から若手の福田達夫を総務会長に抜擢することだった。

 安倍晋三とは距離のある福田達夫を将来の総理候補と思わせ、そのことで安倍晋三の再々登板の野望をけん制する。さらに福田達夫が潰されぬよう総務会長代行には二階前幹事長とコンビを組んだ森山裕前国対委員長を充て、小泉進次郎も総務会長代理に任命して周囲を固めた。自民党総務会は菅―二階連合の色が濃い。

 そうした構想を了解してもらうためか、岸田総理が国会で首班指名された翌日真っ先に会談した相手は菅前総理だった。岸田総理が退陣のきっかけを作った相手だから、岸田総理はこの会談に並々ならぬ気配りを見せた。官邸のエントランスまで降りてきて菅前総理を出迎え、また見送った。

 メディアは公明党を抜いて第3党になった維新との橋渡しを頼んだと書いたが、フーテンは安倍晋三対策が焦点だったと思う。また岸田総理は二階前幹事長に自民党国土強靭化推進本部長として活躍する場を与えた。菅前総理と二階前幹事長を交代させた岸田総理は、一転して菅前総理と二階前幹事長を安倍晋三対策の要(かなめ)にした。これが政治だとフーテンは思う。

 さて一方の立憲民主党代表選は、22日に日本記者クラブ主催の候補者討論会を行った。こちらは地味な戦いにすることを心掛けているためか、自公政権から権力を奪い取ろうという熱気に乏しい。討論内容はあくまでもお上品で綺麗ごとに終始している。

 総選挙での立憲民主党の敗因は、前回選挙で希望の党が獲得した970万票が、維新と国民民主党に流れたというのが一般的な見方である。希望の党の票は自公政権を嫌う保守層の票で、それは7月の東京都議会選挙でも都民ファーストの会に流れ、自民勝利の予想を覆した。だから総選挙でもその票の動向に注目が集まっていた。

 さらに最近の世論調査を見れば、若者には自民党支持者が多い。立憲民主党の支持者は今や高齢者に偏り、若者にはそっぽを向かれている。従ってこの傾向は続く可能性がある。それを変えるのにどうするか。それが代表選のポイントだとフーテンは思っていた。

 従って総選挙の敗因分析と、これまでの立ち位置で良いのかを徹底的に議論してもらいたいと思っていた。結局、討論では立ち位置を守ることに力点が置かれ、4人の候補者のうち2人から中道にウイングを広げる話が出たが、何をどう広げるかの言及はない。

 中でもドキュメンタリー映画『なぜ君は総理大臣になれないのか』で有名になった小川淳也候補は、しきりに枝野前代表の立ち位置を評価し、この選挙戦で枝野路線を引き継ぐと何度も言った。それを見てそう言わざるを得ない立場なのだろうとフーテンは思った。

 推薦人が集まらなくて最後に立候補したから、おそらくあちらこちらに借りがある。ところが中道にウイングを広げると言うから、メディアは小川候補を保守中道寄りの候補者と報道する。しかし政治家は平気で人を騙せるタイプでないと、自分の考える政治を本当に実現することは出来ない。

 映画を見る限り小川候補はそのタイプではない。従って小川候補を出馬させた側は映画の人気を利用し、彼を中道寄りの候補者に仕立て、中道寄りのもう1人の泉健太候補を落選させる道具に使おうとしている。フーテンにはそのように見える。

 人気のある候補者を担ぎ、正しいことを主張させれば、一定の国民からは評価される。そして政権を狙うふりをしながら熾烈な権力闘争と無縁でいれば、これほど楽な商売はない。立憲民主党はまだフーテンの言う「野党業」の世界にいると討論会を見ながら思った。

 自民党の派閥に権力闘争をやってもらい、分配に力点を置く「大きな政府」と、成長に力点を置く「小さな政府」で、疑似的な政権交代をやってもらえばそれで良いとなれば、「55年体制」への逆戻りだ。

 ところで前回は、1980年代末、自民党最大派閥の会長であった金丸信と社会党の田辺誠書記長、そして平岩外四経団連会長との間で、「55年体制」始まって以来初めて政権交代のため二大政党を作る動きがあった話を書いた。ただそれより前の1985年、フーテンには忘れられない思い出がある。

 その年は日本が世界一の債権国に上り詰め、米国が世界一の債務国に転落した。そこで霞が関の官僚たちの間に「明治以来、欧米に追い付き追い越せを目標にしてきた日本が、ついに坂の上の雲にたどり着いた」という興奮が巻き起こった。

 その年に米国議会の調査団が日本の政治制度の視察に訪れた。国会内で日本の若手政治家と政治学者と政治記者が、米国議会調査団の一行と面談した。フーテンも招かれて参加したが、米国側はなぜ日本に政権交代が起きないのかを問い質す。そして派閥とは何かの説明を求めた。

 これに日本側はうまく説明できない。白川勝彦議員(当時)が「日本では政治家と官僚が使命感を持って国家の経営に当たっているから問題はない」と言った時の米国側の呆れた表情が今でも脳裏に焼き付いている。我々が当たり前のように思ってきた政治が世界では通用しないことを痛切に思い知らされた。