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前総理の敷いた地雷原を後継総理は行く

田中良紹ジャーナリスト

 昔、親しくしていた外交官がこんなことを言った。「日本の総理もアメリカ大統領のように辞めたら故郷に引っ込むようにすれば、政治がどれほど良くなることかと思う。日本の政治がおかしくなるのは、元総理たちが現役でいて政治に影響力を行使するからだ」。

 確かにアメリカ大統領は退任するとホワイトハウスの庭からヘリコプターに乗って故郷に帰るという儀式をやる。そして故郷に自分の図書館を作り、大統領任期中の公務に関する資料や書物、写真などを展示して一般に公開する。そうすることで生臭い政治には関わらない姿勢を示す。

 しかし日本では総理を辞めても議員まで辞める人はいない。現役の議員でいる限り生臭い政治と縁は切れない。しかも政権交代がなかった「55年体制」の時代は自民党の派閥同士が権力闘争をしていたから、元総理が派閥抗争の前面に立つこともあった。

 外交官の嘆きは、辞めた元総理が現職総理の政治に口出ししたり、妨害したりする悪弊が続いていることから出たのだろう。政治記者をしていた私もそうした場面に度々出くわした。

 例えば、中曽根政権時代に「二階堂擁立劇」というのがあった。中曽根総理が二期目の総裁選挙を迎える時、前総理の鈴木善幸がそれを阻止するシナリオを書き、それに福田赳夫、三木武夫の両元総理が賛同し、田中角栄の忠実な番頭役である二階堂進を総理に担ごうとしたのである。

 田中角栄は中曽根総理の続投を望んでいたが、鈴木前総理は中曽根が大嫌いであった。中曽根は日米関係をおかしくした鈴木に代わり自分が日米関係を立て直したという顔をする。まるで前任者の自分を馬鹿者扱いにするのは許せない。

 そこで田中の腹心である二階堂を担げば田中も同調すると鈴木は考えた。そのシナリオに反田中の福田と三木は賛同する。さらに中曽根嫌いの竹入義勝公明党委員長、佐々木良作民社党委員長もそれに乗った。

 二階堂は田中に対し「中曽根は必ずあなたを裏切る」と言って中曽根支持を見直すよう迫ったが、田中は考えを変えない。二階堂が憤然として田中邸を出ると、「田中派分裂」の情報が流れて永田町は騒然となった。

 田中の意を受けた金丸が二階堂を説得し、二階堂が自ら辞退したため鈴木のシナリオは不発に終わるが、辞退しなければ中曽根続投は危なかった。中曽根は首筋の寒くなる思いをした。続投が決まった時、中曽根は「私の不徳の致すところで反省します」という「所感」を発表せざるを得なかった。

 そんなことを思い出すのは日本学術会議の6名拒否問題を目の前にしているからだ。菅総理は6名拒否の理由を口にすることができない。ひたすら組織の在り方を問題にしている。質問と答弁は永久に交わらない。それを受けて内閣支持率はじりじり下がっている。

 私には安倍前総理が敷設した地雷原を菅総理が歩かされているように見える。6名拒否はその地雷の一つだ。菅総理は地雷に触れて内閣支持率を下げているが、ひたすら組織の在り方に目をそらさせ、まだ即死するほどの傷は受けていない。

 この政局を見るには、まず安倍前総理の突然の辞任劇から検証する必要がある。我々は難病の潰瘍性大腸炎が悪化したから辞任したと思わされているが、辞任の時に本人はそうは言っていない。「薬が効いて改善しているが、政治判断を間違える恐れがある。負託に応える自信がないので辞任する」と言った。

 要するに「改善しているが自信がない」というのだ。もっと良い薬ができれば自信を取り戻すこともあると私は解釈した。つまりあの辞任劇は一時的な避難であり、政治生命を終わらせるほどの病気ではない。66歳の安倍前総理には再登板の意欲がある。

 安倍前総理の任期は来年の9月までだが、その期間を誰かに代わってもらおうと考え、それを岸田文雄にするか、菅義偉にするかという選択の結果、菅義偉にしたと思う。岸田文雄はコントロールしやすいが、菅義偉は安倍前総理にとって危険な存在になる可能性がある。しかし9月までの短期なら叩けばホコリの出る菅義偉はコントロール可能と考えた。

 菅総理は官房長官として安倍前政権を支えたが、「叩き上げ」が政界でのし上がるには汚れ役を買って出る必要がある。東京五輪招致を裏で支え汚れ役をやったのは菅総理だと週刊誌は報じている。カジノや万博招致も叩けばホコリが出てくるかもしれない。

 佐藤栄作の長期政権を自民党幹事長として支えた田中角栄も汚れ役をやらされた。佐藤が同じ官僚出身の福田赳夫を後継にしようと考えているのを知りながら、田中はカネの力で自民党総裁選挙に勝利した。

 

 私が田中になぜ福田を先にやらせなかったのかと問うと、官僚が牛耳る日本政治を変えたかったと田中は言った。叩けばホコリの出る田中は「金脈」を叩かれ失速した。

 菅総理が長期政権を狙うと安倍前総理の思惑は外れる。菅総理は安倍前総理の「敵」になる。「安倍政治の継承」を掲げて来年9月までやってくれればそれだけで良い。ところが菅総理は脱炭素社会の実現など長期政権を意識した行動に出た。

 安倍前総理の力の源泉は98名という自民党最大派閥である。第二派閥の麻生派と合わせれば154名で自民党議員の4割を占める。これを維持するのに選挙はない方が良い。

 一方の菅総理と二階幹事長から見れば、自分たちが公認権を持っている内に選挙をやれば味方を増やすことができる。菅総理が就任翌日、真っ先に会食した相手が政治家でも学者でも官僚でもなく民間の選挙プランナーだったことは、私に菅総理の選挙に対する並々ならぬ関心の高さをうかがわせた。

 二階幹事長は「解散は何度でもやる」と公言し、選挙に意欲を見せている。しかし菅総理は安倍前総理が選挙をやらせたくないことを知っているから、選挙に慎重な構えを見せている。「まずは仕事をする」と言うが、一方では仕事を早く仕上げさせようともしている。

 また野党が不信任案を出せばそれが解散の大義になる。6名拒否がどこまで支持率を下げさせるか分からないが、そこそこで下げ止まり、それでも野党が不信任案を出せば解散の可能性はあると思う。私が6名拒否は野党に不信任案を出させ解散に持ち込む策略ではないかとブログに書いたのは、そうした可能性を感じたからだ。

 とにかく私の目から見ると、安倍前総理と菅総理は解散・総選挙を巡って火花を散らしている。そして安倍前総理によって解散をさせないための地雷が各所に埋め込まれているように見える。その一つが10月17日に行われた中曽根元総理の合同葬である。この日程が決められたことで10月25日投開票の総選挙は幻と消えた。

 コロナ禍で延期された合同葬をコロナが収束していないのにこの日に決めたのは誰か。安倍政権下であるから安倍前総理の側が決めた可能性がある。しかし菅総理は官房長官であったからそれに関与したと見られなくもない。そこの見極めが難しい。

 それと同じなのが日本学術会議の6名拒否問題だ。分かってきたことは第二次安倍政権が始まった頃から、右派の中に日本学術会議批判が高まってきたことだ。学術会議がGHQの指導下で日本弱体化計画の一つとして作られたことに右派は反発している。学術会議が軍事研究への非協力声明を出したことがやり玉に挙げられている。

 右派の目的は学術会議を解体することのようだ。民営化の議論が出てくるのはその流れだと思う。そして安倍政権が集団的自衛権行使容認の解釈変更をしたことを学者たちが「憲法違反」と批判し、大衆運動が盛り上がった翌年から、杉田官房副長官による推薦拒否が現実になった。

 杉田官房副長官は人事担当であるから役職上名前が出てくるが、本人が選考しているのかどうかは分からない。そしてそれはこれまで表に出なかった。ところが2018年に学術会議の事務局が内閣法制局と協議して総理大臣が推薦を拒否できるかのような文書を作成した。そこがポイントだと思う。どういう経緯でその作業は行われたのか。誰が主導したのか。それを解き明かさないとこの話は分からない。

 そして菅政権が誕生するのに合わせて、6名拒否という誰もが驚く内容が表に出た。拒否したのは菅総理だから間違いなく責任は菅総理にある。しかし本人は推薦名簿を見ていないと言ったり、拒否の理由を言えないでいるのを見ると、自分の信念に基づいて6名を拒否したとは思えない。

 誰かにやらされているように見えるのだ。それが総理になるための条件だったのかもしれない。中曽根元総理が竹下登に「禅譲」した時、条件は消費増税をやることだった。中曽根は竹下政権を短命で終わらせ、自分が復活する道を探った。そのため外交が強いわけでもない宇野宗祐を外務大臣に押し込んで裏から操ろうとした。

 竹下は中曽根の影響力から逃れようとしたが、消費増税とリクルート事件により短命で総理を辞めなければならなくなり、後継を中曽根の影響下にない宏池会の伊東正義に託そうとしたが断られ、結局、中曽根の思い通りに宇野宗祐が総理になった。これを見ても分かるように、前総理は後継総理に対し、国民に不人気な政策をやらせようとするものである。

 安倍前総理が自民党総裁選の最中に異例の「談話」を出したのも地雷の一つである。「敵基地攻撃を含む安保体制の仕上げをしろ」と菅総理に宿題を出した。菅総理は立場上それを断れない。河野太郎防衛大臣を行政改革担当大臣に横滑りさせ、安倍総理の実弟である岸信夫防衛大臣を誕生させたところに私はせめてもの抵抗を感じた。

 来週から始まる予算委員会では野党が拒否問題を徹底的に追及するだろうが、菅総理は永遠に交わらない答弁を繰り返すだけだろう。自分が選考したわけではないから理由は言えない。しかし決裁は自分がしたのだから批判は引き受けなければならない。予算委員会の攻防で内閣支持率がどう変化するかが見ものだ。

 国民には与野党攻防に見えるかもしれないが、その背後には前総理と現職総理の攻防があり、実は三つ巴の戦いが繰り広げられていると私は思う。

ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■オンライン「田中塾」の次回日時:5月26日(日)午後3時から4時半まで。パソコンかスマホでご覧いただけます。世界と日本の政治の動きを講義し、皆様からの質問を受け付けます。参加ご希望の方は https://bit.ly/2WUhRgg までお申し込みください。

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