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教育勅語は政治の真実を隠すための道具であったことを理解しない人たち

田中良紹ジャーナリスト

フーテン老人世直し録(396)

神無月某日

 柴山文科大臣が就任会見で「教育勅語にはアレンジして道徳に使える普遍性がある」と述べたが、批判を浴びると5日の会見で「教育勅語を復活させると言ったわけではない。政府のレベルで現代的にアレンジした形で道徳への活用を推奨することはない」と釈明した。

 この政治家はどんなつもりで政治をやっているのか知らないが、政治には「顕教」と「密教」があることを知らないようだ。教育勅語は、長く続いた徳川幕府の「公儀」に対し、それに代わる「天皇制」という新たな統治権力を打ち立てるため、一般国民を洗脳する「顕教」の役割を担ったものである。

 「顕教」では天皇は絶対君主とされる。しかし明治政府を作った政治家たちの考えはそれとは異なり、国民に天皇の絶対的権力を信じ込ませ、それを利用して統治を行うが、自分たちの中では天皇を憲法に制約された立憲君主と考えそのように行動した。だがそれを国民に知らせてはならないのでこれを「密教」の政治と言う。

 そもそも「顕教」と「密教」は仏教に由来するが、一般大衆に教えを広めるため秘密にすることなく明らかにされる教えを「顕教」、一般大衆に理解出来ない奥深い真理であるため一部にしか明らかにしない教えを「密教」と言う。

 明治の政治家たちは「顕教」と「密教」を使い分け、ダブルスタンダードの天皇制国家を作り上げた。「顕教」の最たるものが大日本帝国憲法と教育勅語である。大日本帝国憲法は第一条で「大日本帝国は万世一系の天皇これを統治す」と天皇の直接統治を謳うが、もし失政が明らかになれば天皇に責任が及び天皇制国家は崩壊する。

 そのため天皇を政治に関わらせない「天皇超政」の仕組みが作られた。つまり大日本帝国憲法は出来た時から憲法に違反する政治を行うしかなく、それを国民に明らかにしない「密教」にすることでしのいだ。それは戦後の日本も変わらない。日本国憲法は9条2項を持ちながら政府は日米安保体制と自衛隊の存在を認める解釈の積み重ねでしのいでいる。

 仮に明治天皇が絶対君主であれば明治23年に衆議院選挙が行われ、議会が開設されることなどありえない。ところが慶応4年に天皇が「五箇条の御誓文」を宣言することから明治は始まった。その第一条に「広く会議を興し万機公論に決すべし」とある。

 選挙と議会による近代政治を訴えた坂本龍馬の思想が盛り込まれた宣言である。しかし武力で徳川幕府を倒した薩長は藩閥による官僚政治で権力を独占する。これに反発する勢力は自由民権運動をおこし、明治10年代には全国津々浦々で民衆が参加し様々な憲法草案が起草され、さらに議会開設を要求した。数年前に美智子皇后が褒め称えた「五日市憲法」はその時代の憲法草案の一例である。

 対する薩長藩閥政府は伊藤博文を欧州に派遣してプロシア憲法を模した憲法案を作るが、外国を真似た憲法で国民を納得させることは出来ない。その事実を見えなくするため絶対君主と見せかけた天皇から下げ渡された「欽定憲法」にすることにした。

 そして大日本帝国憲法発布の明治22年から議会開設の23年にかけ明治政府は天皇の神格化を強力に推し進める。明治22年には全国の小学校に天皇の肖像画が「御真影」として飾られ、23年の議会開設直前に天皇から文部大臣に国民道徳の規範となる「教育勅語」が示された。

 勿論、天皇の意思で教育勅語が作られたわけではない。藩閥代表格の山縣有朋が総理として指示を出した。忠君愛国と儒教的道徳を基本とする内容で、全国の学校に配布され式典のある日には朗読された。

 柴山大臣が「普遍性がある」と言うのはどの部分なのかを教えてもらいたい。よく「親孝行をし、兄弟仲良く、夫婦相和し、友達を信じ、みんなに博愛を及ぼし」などの部分を指し「今でも必要な教え」と言う人がいる。しかしそれは教育勅語のオリジナルではない。儒教をはじめ他の哲学や宗教の教えにもあるなら、何も教育勅語を持ち出す必要はない。

 教育勅語にしかないオリジナルに普遍性があるのなら、文科大臣としてその部分を指し示すべきである。フーテンの理解としては、出来たばかりの明治政府が、270年近く平和を維持した「公儀」に代わる権力を作るため、また一方では民権思想による体制の危機を乗り切るため、なりふり構わぬ国民洗脳によって天皇を絶対化した道具の一つと思うが、違うのだろうか。

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ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■オンライン「田中塾」の次回日時:5月26日(日)午後3時から4時半まで。パソコンかスマホでご覧いただけます。世界と日本の政治の動きを講義し、皆様からの質問を受け付けます。参加ご希望の方は https://bit.ly/2WUhRgg までお申し込みください。

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