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“筒美京平に一番近い男達”、野口五郎×船山基紀が語る、国民的作曲家の仕事の流儀と素顔<後編>

田中久勝音楽&エンタメアナリスト
写真提供/ソニー・ミュージックダイレクト

Photo/国吉辰一
Photo/国吉辰一

「レコーディングで京平先生から褒められたことは一度もありません」(野口)

野口五郎×船山基紀クロスインタビュー、【前編】に続きこの【後編】では、筒美京平トリビュートコンサートでの秘話と、二人の話から、国民的作曲家のスタジオでの様子や、“ヒット曲の作り方”が垣間見える内容になっています。

――「甘い生活」「グッド・ラック」「オレンジの雨」と野口さんのこの3曲を聴いただけでも、筒美さんが作る作品の幅の広さを感じることができますが、どこかに必ずキュンとさせる、切ない部分があるのが共通しているところだと改めて感じました。

野口 「甘い生活」は最初、キーをCマイナーで作って歌っていたら、京平先生が「これ五郎ちゃんにはいいキーじゃないね」って言い始めて、すぐに作業に入って、4分の1上げて、CマイナーとC♯マイナーの間のキーで録音しました。サビの譜面がなくて「先生これ詞はあるんですけど、メロディが書いてません」って言うと「そこは好きに歌って」って、よくそういうことがありました。レコーディングは相当厳しく、丁寧にディレクションしてくださいました。でも褒められたことはないです。いつも「もういいかな」とか「いいと思うけどね」という感じでそれがOKということで、「いいね」ということは絶対にありませんでした。

船山 そこは僕も全く同じでした。一回も褒められたことはないです。「〇〇に似ていていいよ。マネする気持ちはいいよ」って(笑)。それくらいしかおっしゃってくれなくて、きっとあれはダメだって言われなければたぶんOKなんだろうと、こちらは勝手に解釈していました(笑)。

野口 京平先生がスタジオに来るまでに、歌入れを済ませて、今思うと、それを聴いて一度でいいから「いいじゃない」って言って欲しかったのだと思います。でもそのレコーディングしたものを聴いて京平先生は「じゃあ始めます?」って(笑)、なかったものになっていました。それは京平先生の頭の中に音も歌も完成形が入っているからです。

「京平先生は、ラジオからその曲が流れてきた時に、聴き手の耳に引っかかるようにエレキシタールやブズーキ、特徴的な音がする楽器を使っていました」(船山)

「10代の頃は、恐れ多くも京平先生に『こういう曲がいいです』とリクエストしていました(笑)」(野口)

――筒美さんは、野口さんの代表曲のひとつ「私鉄沿線」(1975年)では珍しくアレンジのみを手がけていますね。

野口 京平先生がアレンジだけで参加しているというのは、僕の曲だけだと思います。「私鉄沿線」は僕の兄(佐藤寛)が曲を書いて、京平先生がアレンジをしてくださったのですが、当時「僕がアレンジした中であれが一番うまくいったんだよね」っておっしゃっていました。でもなんでイントロはエレキシタールだったんだろうなって。

船山 京平先生はああいう耳に残る音の楽器が好きなんだと思います。例えばジュディ・オングさんの「魅せられて」のブズーキ(ギリシャの民族楽器)とか、ちょっと変わった音が好みで、普通の音ではやっぱりダメで、特徴的な音が大事だと思っていたはずです。それは「ラジオから流れた時に、あれ?なんだろう?って思わせないとダメだから」っておっしゃっていました。

――忘れられないイントロですよね。

野口 ああいう風に駆け上がっていくようなメロディは、京平先生の得意とするところで、「魅せられて」のサビもそうですよね。こうしてお話をしていると、どんどん思い出が蘇ってきて、先ほどの京平先生とのレコーディングの話で思い出しましたが、僕は恐れ多くもあんなに偉大な先生に15歳の時から色々と教えていただいていて、京平先生が必ず「五郎ちゃん今度はどんな曲がいい?」って聞いてくださって、僕は平気で先生の前で弾けもしないのにピアノを弾いて「こういう感じがいいです」とか言っていました(笑)。それを先生は一生懸命聴いてくださっていました。「こころの叫び」(1974年)という曲ではギターのフレーズが重要になる曲なので、子供のくせに「このギタリストがいいです」とか先生にリクエストしたり(笑)。でも先生は手配してくださって、本当になんて失礼なことを言ってきたんだろうって改めて思います。その後も書いてくださった曲に対して「これ全然僕じゃないですよ」とか平気で言っていました(笑)。今考えるとなんてことをしていたんだと怖くなります(笑)。

――野口さんがMCで「京平先生から108曲提供してもらっています」というと、客席がビックリしている様子でした。

野口 実はまだ表に出ていない曲もあったりして、それはそれで僕の思い出としてとっておこうと思います(笑)。

「コンサートでは、太田裕美さんの『木綿のハンカチーフ』を指揮をしながら、ウルウルしていました」(船山)

――今回のコンサートは、原曲のアレンジに忠実というところからライヴアレンジはスタートしたのでしょうか。

船山 そうです、オリジナルのミュージシャンで、オリジナルのアレンジをオリジナルの歌手の方に歌ってもらうというのが基本コンセプトでした。一部、色々な歌手の方にカバーをして歌っていただきましたが、アレンジはとにかくオリジナルに忠実に、というのがコンセプトでした。

――だから聴いている人はグッときてしまうんでしょうね。

船山 記憶や思い出が音と共に甦ってくるのだと思います。実際に僕も太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」の時は、指揮をしながらウルウルしていました。お客さんはそれ以上に感動していたと思います。

野口 僕も控室で音を聴いてウルウルしていました。「(感動しすぎて)これはダメだ」って思いました。久々に会う方が多かったですけど、皆さん歌も雰囲気も当時のままで、本当に感動しました。今回のコンサートはほぼMCなしで、次々とテンポよく歌っていく構成でしたが、歌手の名前と曲、いいサウンドだけで作られる、ある意味シンプルなステージって、こんなにいいものなのかって思いました。

――野口さんの「グッド・ラック」は今是非聴いて欲しいAORの名曲ですよね。バンドのグルーヴも最高でした。

野口 いい曲ですよね(笑)。あの曲を好きと言って下さる方が多くて、船山先生のライヴアレンジも最高でした。最高といえば、京平先生×船山先生の作品「女になって出直せよ」(1979年)も大好きな曲です。シングル曲ですが、当時事務所、レコード会社に「難しすぎる」って反対されて。僕はフュージョン系のサウンドが大好きだったのですが、レコード会社はそれを一生懸命歌謡曲に戻そうとしていましたが(笑)、この曲のアレンジを聴いた時もうたまらなくて。LAでレコーディングして、ドラムのジェームス・キャッドソンの“One, Two…” というカウントがあまりにもカッコいいので、イントロの前に彼の声をそのまま入れました。

「京平先生は歌い手の個性を最大限に生かして曲を作ってくださっている」(野口)

「京平先生は、歌い手が気持ちよく歌ってくれたほうがより伝わるし、よりいい作品になると常に思っていたと思います」(船山)

――非常に難しい質問だと思いますが、筒美さんの作品をこれだけ歌ってきた歌手は野口さんしかいませんが、中でも特に思い入れが強い曲を教えてください。

野口 それは困りますね(笑)、全部です。京平先生は常にヒットを狙っていらっしゃったというか、でもそこにはなんの自信もなかったというか、いつも「どう思う?」とか「どうかな?」とか、そこには必ずクエスチョンがありました。「これ絶対いけるから」とか、「これ大丈夫」だよという確信は先生になくて、いつも不安を感じていたのだと思います。一方で海外でレコーディングとかするとか、冒険をする人でした。僕の歌にも「これ音域が広すぎて歌えません」という難しい曲を、アルバムの中にどんどん入れてきて、冒険していました。でもそれも、歌っている本人は冒険と思うかもしれませんが、その歌い手の個性を最大限に生かして作品を作ってくださっているんです。例えば太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」では<ぼくは旅立つ>の「つ」のところでファルセットになるところとか、その人の声のよさを最大限生かすために、個性を最大限に尊重していました。そこが素晴らしいと思います。音域が広かろうが狭かろうが、レンジが狭かろうが、その中でいい曲を作ってしまいます。いつもヒットするかしないかは自信がなくて、結果ヒットしたっていう。命中させてヒットする方ではなかったと思いますが、結果それがヒットしていたんですよね。

船山 そうでしたね、「あそこまでいくと思っていなかった」ということをよくおっしゃっていましたね。

野口 京平先生が作ってくださった「針葉樹」(1976年)という曲は「この曲のメロディはアルバムの中ではメジャーでいいけど、シングルにするならマイナーにしたほうがいい」と教えてくださって、本当にマイナーにして、シングルになりました。

船山 京平先生はアーティスト寄りなんですよね。例えばアーティストがそういう風に歌いたいって言うのであれば、それでいいという考え方でした。いしだあゆみさんの「ブルー・ライト・ヨコハマ」も、歌メロと間奏のメロディが違います。それはいしだあゆみさんの歌に沿っているからで、歌い手が気持ちよく歌えるんだったらそれでいいという考え方です。CCBの「ロマンティックが止まらない」も、サビは最初に京平先生が書いたメロディとちょっと変わっていて、でもそれで歌い手が気持ちよく歌ってくれた方がより伝わるし、よりいい作品になるということは、先生は常に思っていたと思います。柔軟に自分の作品を見ていた方です。

――野口さんは筒美さんとロンドンでレコーディングしたアルバム『GORO LOVE STREET IN LONDON - 雨のガラス窓 -』(1975年)の再現ライヴ 『GORO Live Station - Take The ‘G’Train Ⅶ – 』を、COTTON CLUBで6月7日から(~13日)行いますが、また筒美さんへの思いが溢れそうですね。

野口 この作品は僕が19歳の時に、京平先生とロンドンでレコーディングをさせていただいたもので、ストーリーアルバムになっているので、曲順もそのまま再現します。今回のトリビュートコンサートの余韻を胸に、京平先生への感謝とリスペクトを込めたライヴにしたいです。

【野口五郎コンサート情報】

■『GORO NOGUCHI 50TH ANNIVERSARY CONCERT TOUR 2021 I can sing here ~今ここで歌える奇跡~』5月30日(日)愛知県芸術劇場よりスタート(予定)

OTONANO『筒美京平 TOP 10 HITS』特設サイト

野口五郎 オフィシャルサイト

船山基紀 オフィシャルサイト

音楽&エンタメアナリスト

オリコン入社後、音楽業界誌編集、雑誌『ORICON STYLE』(オリスタ)、WEBサイト『ORICON STYLE』編集長を歴任し、音楽&エンタテインメントシーンの最前線に立つこと20余年。音楽業界、エンタメ業界の豊富な人脈を駆使して情報収集し、アーティスト、タレントの魅力や、シーンのヒット分析記事も多数執筆。現在は音楽&エンタメエディター/ライターとして多方面で執筆中。

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