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“筒美京平に一番近い男達”、野口五郎×船山基紀が語る、国民的作曲家の仕事の流儀と素顔<前編>

田中久勝音楽&エンタメアナリスト
野口五郎 船山基紀(写真提供/ソニー・ミュージックダイレクト)

2日間に渡り行われた、“伝説”の筒美京平トリビュートコンサート

昨年10月に死去した希代のヒットメーカー・筒美京平の名曲で彩るトリビュートコンサート『ザ・ヒット・ソング・メーカー 筒美京平の世界 in コンサート』が、4月17・18日の2日間、東京国際フォーラムホールAで行われた。全29組のアーティストが筒美メロディーを披露。その全てが“名曲”の、まさに伝説のコンサートになった。そしてその素晴らしい演奏で歌を盛り上げたのが、総勢18名の“音の職人”で構成されたバンド『船山基紀とザ・ヒット・ソング・メーカーズ 』。このバンドを率いたのが、音楽監督と指揮を務めた船山基紀だ。まさにこのコンサートの立役者ともいうべき船山は、2700曲以上と言われている筒美作品を300曲以上編曲した、筒美と一番仕事をした編曲家だ。そして筒美作品を一番多く歌っているシンガーが、このコンサートにも出演していた野口五郎だ。野口は筒美から108曲提供され「まだ世の中に出ていない曲もある」(野口)という。そんな“筒美京平に一番近い男達”に、このコンサートを振り返ってもらうと共に、改めて音楽界の巨人・筒美京平についてその音楽、仕事の流儀、そして素顔までをクロスインタビュー。前・後編に分けお届けまします。

船山基紀
船山基紀

――音楽監督と指揮を務められた船山さんは、出演するアーティストの数、披露する曲数、どれをとっても本当に大変なコンサートだったと思います。

船山 出演者と歌う曲が決まったのが、2月頭でした。そこからすぐに譜面を書き始めて、でも4月頭にリハーサルが始まることは決定したいたので、どう考えても時間が足りない(笑)。半世紀くらい仕事をしていますが、今までで一番仕事をしました(笑)。最後は朦朧としながら譜面を書いていました。本番が終わった後は、アドレナリンが出まくって、逆に元気でしたが、次の日から寝込みました(笑)。でも人間って都合よくできているもので、楽しいと、辛かったことを全部忘れてしまいます(笑)。出演してくださった歌手の方はみなさん昔のままの歌を聴かせてくれて、こんなに楽しい仕事はないと思いながらやっていました。それが最終日の最後の最後まで続きました。

『ラスト・ジョーク GORO IN LOSANGELES'79』(1979年)
『ラスト・ジョーク GORO IN LOSANGELES'79』(1979年)

42年振りの再会。「お会いした瞬間、五郎さんと作業した日がまるで昨日のことのように感じました」(船山)

――野口さんと船山さんは40数年ぶりの再会とお聞きしました。

野口 42年ぶりでした。僕らって、ご無沙汰してますというと10年20年経っていることが当たり前の世界ですけど、船山先生とリハでお会いした時「あの時以来ですよね」って言われて「あの時ってどの時だろう?」って考えたら、LAで京平先生と船山先生とレコーディングしたアルバム『ラスト・ジョーク GORO IN LOSANGELES'79』(1979年)以来だったという…。その後、どこかでご挨拶はさせていただいていると思いますが、こうやってお仕事をさせていただいたのは42年振りです。

船山 でも何も空白がなかったような感じでした。お会いした瞬間、五郎さんと作業した日がまるで昨日のことのように感じました。

――そこに音楽があるから、一瞬で空白期間が埋まるという感覚ですか?

野口 スタジオで京平先生がピアノでアドリブを3パターンくらい弾いて、「五郎、どれがいい?」「最後のパターンがいい」という会話が、昨日のことのような出来事として自分の記憶の中ではあって、船山先生がいるとさらにそのシーンが色濃く蘇ってきます。

「五郎さんと京平先生とLAでレコーディングした『ラスト・ジョーク GORO IN LOSANGELES'79』が、僕の今に至るまでの道のスタートでした」(船山)

――あのアルバムは船山さんと筒美さん、お二人がアレンジを手がけていますが船山さんは当時28歳、忘れられない一枚になっているとお聞きしました。

船山 そうです。今日はそれを言いたくて来ています(笑)。五郎さんと初めてLAで仕事をさせていただいたことは、若き日の僕にとって衝撃でした。当時、レコードのクレジットで見ていた一流ミュージシャンが、次々とスタジオに現れてびっくりしました。それから現地の青くて広い空の下に建っているスタジオの景色や、スタジオの外に出るとパトカーが走っているとか、その空気も含めて当時感じたことが、頭に染み付いていて。それでどうしてもここで何かやりたいとずっと思って、81年から拠点をLAに移して、そこでフェアライトに出会いました。帰国後、シンセサイザーによる制作技法を活用したアレンジをする編曲家として、新たに歩み始めたという今に至るまでの道が、正に五郎さんとのあのレコーディングから始まりました。だから今日は、本当にありがとうございましたとお伝えしたかったんです。

野口五郎
野口五郎

「当時、歌に対してモヤモヤしている僕に、京平先生は『少し休んでアメリカで勉強しなさい』と言ってくださいました」(野口)

野口 当時、歌に対してモヤモヤしている時期で、レコーディングでも京平先生とぶつかったりしていました。その後、京平先生は機嫌が悪くなった僕を食事に連れていってくださって、その時見たこともない大きさのロブスターをごちそうしてくださったことを、今でも覚えています(笑)。その時に京平先生から「少し休んでアメリカで勉強しなさい」と言われました。それまでもロンドン、ニューヨークでの海外レコーディングの経験はありましたが、大好きなミュージシャンがたくさんいるLAでレコーディングをすることになって、初めて船山先生とやらせていただいたのが、あのアルバムでした。思い出したといえば、僕は当時から洋盤収集オタクだったので、月に2回洋盤専門の業者の方が海外から新しい作品が届くと、まず僕のところに持ってきてくれていました。その後にその業者の方は京平先生のとこに行くんです。それでレコードを選んでいる時に「これいいな」って選んだら、その方が「それはダメですよ、京平先生から頼まれているものです」って言うので「なかったってことにすればいいじゃん」って、いつも先にいただいていました(笑)。

船山 昔は早い者勝ちでしたから(笑)。

――船山さんも筒美さんから「あれ聴いた?」って言われた時にすぐ答えられるように、レコード店に足繁く通っていたとお聞きしました。

船山 とにかく新しいものを必死に聴いて、京平先生に「あのアルバム聴いた?」って聴かれたら「はい、あのギターがすごくて…」とか、話しを合わせられるように若造なりに頑張っていました(笑)。

「今回のコンサートで『オレンジの雨』を船山先生にアレンジしていただいて、ギターを弾かせていただけたのは、京平先生からの贈りものだと思っています」(野口)

4月18日東京国フォーラムホールA(Photo/国吉辰一)
4月18日東京国フォーラムホールA(Photo/国吉辰一)

――今回のコンサートで野口さんは初日に「甘い生活」と「グッド・ラック」、2日目はそれに加えてアンコールで「オレンジの雨」を披露してくれました。

野口 コロナ禍でなかなか思うようにライヴができず、僕たちって本当にお客さんを目の前にしないと、“本気度”っていくら家で発声練習してもなかなか難しいところがあって、初日は自分で感情面をコントロールできないところがありました。一晩悩んで、でも2日目に「甘い生活」を歌う時に、口角を上げてステージに出たら、なんとなくスッキリしました。やっぱり船山先生をはじめ、みなさんが楽しそうに、一生懸命やってくださっているのが伝わってくるので、歌い手が悩んでちゃダメだ、楽しく出ようと思って。たぶん生まれて初めて「甘い生活」のイントロで笑顔で出ていきました。そうしたら吹っ切れて歌うことができました。「オレンジの雨」も最初は予定になかったギターを弾かせていただいて、緊張しながらも楽しむことができました。

船山 「オレンジの雨」はミュージシャン達がすごく盛り上がって演奏していました。バンドは2日間で90曲くらい演奏して疲れているはずなのに、五郎さんの歌で俄然盛り上がって、すごかったです。だからあのアンコールはとても印象に残っています。

野口 マネージャーから「船山先生が『オレンジの雨』でギターを弾いて下さいと言っています」と聞かされ、「でもバンドには、ギターの名手・土方隆行さんがいるし船山先生何か勘違いしているんだろうな」って思っていました。当日一応ギターは持って行きましたが(笑)、でも半信半疑のまま控室に入ったら、すぐに船山先生が来てくださって「今日『オレンジの雨』のイントロのギターお願いします」っておっしゃるので「え?本当だったんだ」ってビックリして。

船山 僕はとにかくこの曲の頭は五郎さんのギター以外ないと決めていました(笑)。

野口 嬉しくて、本当に泣きそうでした。この曲は懐かしい感じと新しいアレンジにグッときました。船山先生にアレンジしていだいて、僕がギターを弾かせていただいたというのも京平先生からの贈りものだと思っています。

船山 エンディングのギターも最高でした。もうちょっと長くいくかなって思っていましたが(笑)、この曲は本当に楽しかったです。譜面に“エンディングは五郎さんのギターで切る”、という注意書きをしていますが、これはリハの時、パーカションの斎藤ノヴが出してくれたアイディアで、そのほうがかっこいいと言ってきてくれて。ミュージシャン達もリハから本当に楽しんでやってくれました。

船山がコンサートで使用した「オレンジの雨」の譜面
船山がコンサートで使用した「オレンジの雨」の譜面

野口 でもあれだけの超一流ミュージシャンをまとめられるのは、船山先生しかいません(笑)。個性派揃いのあの頃のミュージシャンたちが、いくら丸くなったとはいえ(笑)、その方たちをまとめて、あれだけ前向きにさせて、しかも何日もリハーサルするのって考えられないことですから(笑)。(5月24日公開の【後編】に続く)

【野口五郎コンサート情報】

■『GORO NOGUCHI 50TH ANNIVERSARY CONCERT TOUR 2021 I can sing here ~今ここで歌える奇跡~』5月30日(日)愛知県芸術劇場よりスタート(予定)

OTONANO 『筒美京平TOP 10 HITS』特設サイト

野口五郎 オフィシャルサイト

船山基紀 オフィシャルサイト

音楽&エンタメアナリスト

オリコン入社後、音楽業界誌編集、雑誌『ORICON STYLE』(オリスタ)、WEBサイト『ORICON STYLE』編集長を歴任し、音楽&エンタテインメントシーンの最前線に立つこと20余年。音楽業界、エンタメ業界の豊富な人脈を駆使して情報収集し、アーティスト、タレントの魅力や、シーンのヒット分析記事も多数執筆。現在は音楽&エンタメエディター/ライターとして多方面で執筆中。

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