古川本舗 復活が待たれていた“才能”が5年ぶりに活動再開 より自由度が増した唯一無二の世界観<前編>

Photo/眞鍋アンナ

ボカロPの先駆者的存在として、その世界観は多くのアーティストに影響を与えたが、2015年に活動を終了させる

天才がシーンに帰ってきた――古川本舗が5年振りに活動を再開し、2月3日に6年ぶりとなるシングル「知らない feat.若林希望」を発表。さらに3月10日には佐藤千亜妃をボーカルに迎えた新曲「yol」を配信リリース。立て続けに作品を発表し、ファンを喜ばせている。そんな古川本舗にインタビューし、改めて活動休止から再開までに何を思い、感じていたのかを聞いた。

マルチクリエイター古川本舗は2009年、セルフプロジェクトを始動させ、ボカロPの先駆者としてオリジナル曲を次々とニコニコ動画上にアップし、その唯一無二の世界観は圧倒的支持を得、その後登場するボカロPに大きな影響を与え、「歌い手」もその楽曲を次々とカバーした。2011年にはレーベル「Balloom」の立ち上げに参加し、それまでの集大成的なデビューアルバム「Alice in Wonderword」を発表。この作品は野宮真貴、カヒミ・カリィという渋谷系を代表するボーリストを迎え制作され、話題を集めた。その後も、様々なボーカリストをフィーチャーした作品を制作し、楽曲提供も行ない、常にその作品は大きな注目を集めた。しかし2013年に4thアルバム『Hail against the Burn door』を発表し、2015年で活動を終了させた。

「元々やりたかったことと“次”にやろうとしていたことが乖離してきた」

「元々やろうとしていたことがプロデュース業というか、曲ごとにボーカリストをアサインして制作していくというやり方だったのが、いつのまにか、ファンやスタッフからライヴをやって欲しいという声が出てきました。これは自然の流れだとは思いますが、そうするとバンドが必要になるし、いつもレコーディングをお願いしているメンバーに声をかけて、固定メンバーにしてライヴをやり始めたのですが、プロデューサーとしてというよりは、やはり普通のバンド的な活動になってしまって。3rdアルバム『SOUP』(2013年)ではシンガー・ソングライターのキクチリョウタを全曲でフィーチャーして、このアルバム自体はすごく気に入っているのですが、作り終わって感じたのが、彼の声に合わせた曲を作るという方向になっていって、世界がどんどん狭くなっていくというか、本当は先鋭化していくという捉え方のほうが正しい受け止め方だと思いますが、当時はどうしてもどんどん世界が狭くなっていく感覚があって。元々自由度の塊のような活動の仕方だったので、次の4枚目のことを考えた時に、当初の目的というか、自分がそれまでやっていたこととすごく乖離してしまう気がして」。

「当時は、一番自由にやりたいはずの音楽で、なんでこんなに不自由な思いをしなければいけないんだろうって思いました」

4thアルバム『Hail against the barn door』(2014年)を作った後に、メジャーレコード会社からオファーはあったものの、その時点では「作りたいものがない」という状況もあって、全ての活動を休止した。

「発展性がないと思って、一番自由にやりたいはずの音楽で、なんでこんなに不自由な思いをしなければいけないんだろうと。でも振り返ってみると、結局全部自分が選んできた選択の結果であって、でもどこかで選択を間違えたんだなと思いました。もしかしたらその段階から大鉈を振るって、一気に元に戻すという方法があったかもしれません。でもバンドメンバーとの絆のようなものも生まれていたし、そこまで非情にはなれないと思って、じゃあもう全部爆破してしまえ、という感じでした。でも5年という時間は、自分の頭の中を整理するにはいい時間だったし、整理するには5年位かかるだろうと思っていました」。

表舞台から去ったとはいえ、音楽はずっと作り続けていた。流れが速い音楽シーンを一歩離れたところから見ていて、次から次へと出てくる「才能」に刺激を受けたり、“やられた”という思いにはならなかったのだろうか。

「昔から“音楽シーン”に属しているという意識がなくて、それは今も変わらないです。なので“やられた”という感覚は一切なかったです。最初の2年くらいは曲を作り続けていて、形になったものもありましたが、それを久しぶりのものとして出すにはあまりふさわしくないというか、どういう名義で帰ってくればいいんだろう、という思いもあって、出しませんでした。結局どういう名義なのか、これでいいのか、というところをずっと行ったり来たりしている期間が2年くらいあって、その行ったり来たりにも疲れてしまって(笑)。これはもうだめかもなとか思いながら、のんびり暮らすかと思って過ごしていました(笑)」。

「活動休止後に古川本舗のことを知ってくれた人に、顔向けできる作品を、以前から聴いている人には、いい意味で裏切り、待ったかいがあったと思ってもらえる作品を、作らなければいけないというプレッシャーがあった」

昨年、5年ぶりに活動を再開というニュースが流れるとファンは歓喜し、「知らない feat.若林希望」、「yol」のMUSIC VIDEOのコメント欄には「帰ってくるのを待っていた」「もっと早く知っておけばよかった」という新旧ファンからの熱いコメントが寄せられた。

「休んでいる時、たまに自分でエゴサしてみたりして、リアルタイムで聴いてくれていた人たちの反応を見て感じたのは、少し冷めた言い方になってしまうかもしれませんが、申し訳ないという気持ちより、『あの時楽しかったね』という感じでした。でも活動終了してから自分のことを知ってくれた人の、『リアルタイムで聴きたかったな』というコメントを見ると、その人たちに新曲を届けられなかったなってすごく申し訳ない気持ちになりました。だからこそ、もう絶対にやらないと決めていたわけではなかったんです。活動終了してから知ってくれた人達に、顔向けができるような形は目指せなければいけない、同時に、今まで好きだった人たちの感覚をいい意味で裏切り、また、待った甲斐があったと思えるようなものを作らなければいけない、という点でずっと悩んでいました」。

「自分が欲しいものを作って、それを“お裾分け”している感覚」

音楽にとどまらず、自身が楽しんで作ったものに関して、世の中に出すという行為は「お裾分け」という感覚だという。それが古川本舗の創作活動の全ての源になっている。

「世の中に自分が気にいるものがないから自分で作るとか、そんな大それた話ではないのですが、ちょっといい料理を遠くまで食べに行くのであれば、もう自分で似たようなものを作ってしまおうという考え方です。で、食べてみたら意外と美味しかった、と。作りすぎたのでよかったらどうぞって配っていたら、周りの人が意外と喜んでくれて、『こりゃ楽しいわい』という感覚なんです。利己的といえばそうかもしれません。多分、リアルタイムで聴いてくれていた人へのちょっと冷めた思いというのも、そういうところからきているのかなと思います。活動を再開しようとなった時、周りから出てくるのはどうしても以前からのファンに向けて、というキーワードでした。それが自分的にはしっくりこなくて……。同窓会をやりに帰ってきたのではなく、自分のアーティスト活動の基本としては、先ほども出てきましたが、まず新しく自分が欲しいものを作って、それを気に入ってくれた人がいて、ここで初めてコミュニケーションが生まれます。最初から自分が決まった方向を向いて『みんなのために作ったよ』ってコミュニケーションを仕掛けるのを一歩目にすることは、そもそもルール違反だと思っています」。<後編>に続く

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