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「となりの人は石鹸で手を洗っていますか?」新型コロナウイルス対策にも。手洗いを促す行動経済学とナッジ

竹内幹経済学者。一橋大学経済学研究科・准教授。
手洗いは感染症予防の基本。行動経済学・ナッジで手洗い促進。(写真:アフロ)

手洗いは感染症予防の基本。行動経済学や「ナッジ(行動変容を促すちょっとした仕掛け)」を使って手洗いを促す施策と研究を紹介します。例えばメッセージでは「となりの人は石鹸をちゃんと使って手を洗っていますか?」などが有効

ここではトイレでの手洗いを促進するためのナッジ9件を紹介します。いずれも、(1)液体石鹸の使用量を測定したり、手洗いを実際に観察したりして、ナッジやポスター・メッセージの効果を推定する点、(2)ポスターなどを掲示しない「統制群(コントロールグループ)」を設けて、そのグループとの差によって、ナッジの効果を推定する点に、特長があります。

1) 床に矢印ステッカーを貼って洗面台に誘導

Blackwell, et al. (2018) "Nudges in the restroom: How hand-washing can be impacted by environmental cues," Journal of Behavioral Economics for Policy, Vol.2, No.2, pp.41-47.(論文題名「トイレにおけるナッジ:環境の手引により手洗いはどのように影響されるか」)

矢印ステッカーによる洗面台への誘導効果 (Blackwell, et al., 2018)
矢印ステッカーによる洗面台への誘導効果 (Blackwell, et al., 2018)

 延べ19,098名のトイレ利用者の液体石鹸使用量から手洗い頻度を測定し、ナッジの効果を推定したアメリカでの実験。洗面台にスマイリー(ニコちゃん)マークのステッカーと、洗面台へ誘導する矢印のステッカーの効果を測定。床に貼られた矢印ステッカーによって、手洗い頻度が、男性は40%が46%に、女性では66%が76%に増加

2) 子どもも足跡をたどって手洗い場に行く

Dreibelbis, et al. (2016) "Behavior change without behavior change communication: Nudging handwashing among primary school students in Bangladesh," International Journal of Environmental Research and Public Health, Vol.13, pp.129-135. (論文題名「コミュニケーションを介さない行動変容:バングラデシュの小学生の手洗いへのナッジ」)

トイレを出てからポリタンクに誘導する (Dreibelbis, et al., 2016)
トイレを出てからポリタンクに誘導する (Dreibelbis, et al., 2016)

 バングラデシュの小学校の屋外トイレ横にポリタンク手洗い設備(HW)を設置し、トイレの出口からHWに至る経路に足跡をペンキで描き、HWに手型をペンキで描いた。子どもたちの手洗い頻度を観察した。さらに、2週間後と6週間後の手洗い頻度も合計7日間にわたって観察した。各観察回に平均して138回のトイレ利用があり、観察数は延べ962回。HW設置以前には4%に過ぎなかった手洗い頻度が、最終的には74%にまで改善した。

ナッジの効果は6週間経っても持続した (Dreibelbis, et al., 2016)
ナッジの効果は6週間経っても持続した (Dreibelbis, et al., 2016)

3) トイレの洗面台に電光掲示板を設置して数十のメッセージの効果を比較

Judah, et al. (2009) "Experimental pretesting of hand-washing interventions in a natural setting," American Journal of Public Health, Vol.99, No.S2, pp.S405-S411.(論文題名「平常の環境における手洗いの実験事前調査」)

 イギリスの高速道路サービスエリアのトイレを利用し、198,000人余りに手洗いをうながすメッセージを表示し、それぞれのメッセージごとの液体石鹸使用量を測定した実験。結果は論文中の表1(以下に抜粋)にあるとおりで、女性に最も効果的だったのは知識を使った「水は除菌しません、石鹸が効きます」のようなもので、男性には「おとなりさんは石鹸で手を洗っていますか?」が最も効果的で、それぞれ石鹸使用量が11%-12%増加した。

男性トイレ内に表示されるメッセージ毎の効果(Judah, et al. (2009):赤字部は筆者加筆)
男性トイレ内に表示されるメッセージ毎の効果(Judah, et al. (2009):赤字部は筆者加筆)

4) みんな手を洗っているという世間との比較

Lapinski, et al. (2013) "Testing the effects of social norms and behavioral privacy on hand washing: A field experiment," Human Communication Research, Vol.39, pp.21-46. (論文題名「社会規範と行動プライバシーの手洗いへの影響の検定:フィールド実験」)

米国中西部の大学の男子学生のトイレでのフィールド実験(N=252)。男性トイレ内の各所にレターサイズ(A4サイズと同等)のポスターを掲示し、その内容の違いが手洗い頻度に与える影響を調べた。ポスターは、5人の男子大学生が大学の野球帽を前後逆にかぶり、カメラに背を向けて並んで小便器に向かっている写真にメッセージが添えられているもの。次のような2種類のポスターを作った。

  • 高頻度条件「大学生5人のうち4人はトイレに行くとき毎回手を洗っている」というメッセージがあり、4人がかぶる野球帽は実験を行った大学のもので、1人の野球帽がライバル大学のもの。
  • 低頻度条件「大学生5人のうち1人はトイレに行くとき毎回手を洗っている」1人がかぶる野球帽は実験を行った大学のもので、4人の野球帽がライバル大学のもの。
  • 統制群「(メッセージなし)」

低頻度条件と高頻度条件に差はみられなかったが、統制群の手洗い頻度70%から介入群の手洗い頻度85%に増加し、手洗い時間も約3秒間長くなった(下図参照)。

Lapinski, et al. (2013)のデータをもとに筆者作成
Lapinski, et al. (2013)のデータをもとに筆者作成

5) ひとりでトイレにいくと手を洗わない

Lagomarsino, et al. (2017) "Peer pressure: Experimental evidence from restroom behavior," Economic Inquiry, Vol.55, No.3, pp.1579-1584. (論文題名「ピア・プレッシャー(同調圧力): トイレでの行動実験」)

男性のトイレ利用者(小便)194名の手洗い行動を観察した実験。一人だけの場合は手洗いの頻度は66.3%。それに対し、利用者のとなりにサクラが途中でトイレにはいって、トイレに別の人がいる環境をつくってやると、手洗い頻度は78.8%に上昇する。手を洗ったほうが良いという規範(norm)が内在しており、他者の存在によってその規範の効果が強くなるという証拠。アルゼンチンでの調査。

6) 「患者さんのためです」利他心や責任感に訴える

Grand and Hofmann (2011) “It’s not all about me: Motivating hand hygiene among health care professionals by focusing on patients,” Psychological Science, Vol.22, No.12, pp.1494-1499. (論文題名「私だけのことじゃない:患者にフォーカスすることで医療従事者の手の衛生を動機付ける」)

Grand and Hofmann (2011)をもとに筆者作成
Grand and Hofmann (2011)をもとに筆者作成

米国の病院内の66の液体石鹸ポンプに、上記2種類のメッセージのどちらかをランダムに貼付し(もしくは統制群として簡潔なメッセージを貼付)、それぞれの液体石鹸使用量を2週間にわたって測定したもの。「手洗いは感染から患者さんを守ります」というメッセージで石鹸使用量は1.45倍に増加した(下図、論文表1より作成)。

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7) 「昨日のこのトイレ使用者の手洗い割合」をお知らせする

Choi, et al. (2018) "A comparison of prompts and feedback for promoting handwashing in university restrooms," Journal of Applied Behavior Analysis, Vol.51, pp.667-674. (論文題名「大学のトイレでの手洗い促進のための刺激およびフィードバックの比較」)

韓国の大学の3棟の建物にある男女トイレ各1つ(合計6つ)に、2種類のメッセージポスターを順に掲示したもの。1種類目は14cm×8cm 用紙に20ptsのゴシック体で「せっけん手洗いは病気の伝染を予防する」と書かれたもの。2種類目は「__月__日にせっけんを使って手を洗った人は__%でした」というもので、内容が毎日更新され、前日の数値が掲示された。

 せっけんを使い10秒間以上手を洗った利用者の割合を計算した。男性トイレでは、ポスター掲示前には手洗いする人は25%であったところ、1種類目のポスターを提示すると27%に、続いて2種類目のポスターに変えて、前日の手洗い割合を掲示しておくと手洗い割合が54%に上昇した(一部下図に抜粋)。女性用トイレでも同様に49%→52%→64%と手を洗う人の割合が増加した。

手洗い状況が提示されるとちゃんと手洗いしたいという気持ちが高まる (Choi, et al.(2018)の図。日本語部分は筆者加筆)
手洗い状況が提示されるとちゃんと手洗いしたいという気持ちが高まる (Choi, et al.(2018)の図。日本語部分は筆者加筆)

8) 知識普及だけでなく「愛情」に訴える

Brian, et al. (2014) “Effect of a behavior-change intervention on handwashing with soap in India (SuperAmma): A cluster-randomised trial,” Lancet Global Health, Vol.2, pp.e145-e153. (論文題名「インドにおけるせっけん手洗いの行動変容介入(スーパーママ)の効果:クラスターランダム化実験」)

対象者数万人規模のインドでの啓蒙・教育プログラムの効果を測定したもの。コミュニティー内でのセミナーやインタビュー、啓蒙ビデオ、学校でのワークショップなど多岐にわたるプログラムを取り込み、衛生知識だけでなく「子の健康を思う母」を強調したものとなっている。

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 重要な場面(排便後、子の排泄処理後、調理前、食事前)での手洗い頻度は1%だったが、6週間後に19%に、6ヵ月後に37%に上昇した。プログラムの詳細は現在でもhttp://www.superamma.org/で閲覧できる。

9) トイレの不潔感を強調

Mackert, et al. (2013) ""Think the sink:" Preliminary evaluation of a handwashing promotion campaign," American Journal of Infection Control, Vol.41, pp.275-277. (論文題名「"Think the sink" 手洗い促進キャンペーンの予備調査」)

テキサス大学オースティン校でのトイレ利用者1,005名(52%男性)の手洗い頻度の調査。「5名中2名が手を洗わない」というメッセージポスター(下図左側)を掲示し、個室内のドア内側および男性用小便器の上には写真加工したもの(下図右側の2種類)を貼付した。手洗いの頻度と石鹸使用の有無を、ポスター掲示前と比較した。

 手洗いの頻度はポスター掲示前後ともに約88%で変わらず改善はみられなかった。ただし、手洗いした者のうちの石鹸使用頻度については掲示前の58%から掲示後の70.1%にまで上昇した。

Mackert, et al. (2013)
Mackert, et al. (2013)

効果測定と比較実験の重要性

以上、主にトイレでの手洗いを促すためのナッジについての研究結果を紹介した。こうした取り組みで重要なのは2点。

 まず、数値化できるものを目標にして、勘にたよるのではなく、効果を測定すること。ここでは液体せっけんの消費量や、手洗いの回数や長さといった数値化できるものをちゃんと測定している。これが大事。

 つぎに、比較対照できる統制群を設けること。ただ、メッセージを掲示して、掲示前と掲示中の石鹸消費量を比較するのでは意味がない。それとは別に、メッセージを掲示しないトイレ(統制群)でも石鹸消費量を測定し、それをベンチマークとすることが重要だ。ベンチマークとの比較によってこそ、他の外的要因に影響されない真の効果が測定できるからだ。

ナッジで行動変容をうながす

頭ではわかっているけど、体がついてこない。こういうときに行動変容を促すのがナッジでもある。絶妙なタイミングで意思決定に介入したり、意思決定の損得勘定の見方を変えたり、規範に訴えかけたりといった多様な仕掛けがあり、それぞれの背後には心理的バイアスを研究した行動経済学の知恵が隠されてもいる。ただ、行動変容も持続しない場合があり、そのときには複数のナッジを時期をずらしながら使っていけばよいだろう。

適切なタイミングでの手洗いは感染予防の基本でもある。ステッカー1枚で手洗い頻度があがるのであれば、ぜひ試してみてください。

経済学者。一橋大学経済学研究科・准教授。

1974年生まれ。一橋大学経済学部卒、ミシガン大学Ph.D.(経済学博士)。カリフォルニア工科大学研究員などを経て現職。専門は実験経済学と行動経済学。文部科学省学術調査官、法務省司法試験予備試験考査委員などもしました。1男1女の父。

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