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朝倉海が7・30『超RIZIN.2』アーチュレッタ戦を欠場─。何が起こった?

近藤隆夫スポーツジャーナリスト
左ヒザを負傷、『超RIZIN.2』を欠場する朝倉海(写真:RIZIN FF)

急遽開かれた記者会見

「この度、怪我をしてしまい(7月30日、さいたまスーパーアリーナ『超RIZIN.2』に)出られなくなりました。本当に申し訳ございません。

今大会において僕の試合がとても重要なことは理解していましたから、どうにか出場できないかと、さまざまな治療を行ってきました。しかし現在も回復せず、走ることも深くしゃがむこともできません。

こんな状態でリングに立つのはファンの皆さまにも対戦相手にも失礼だと思い、欠場を決めました」

7月17日夕刻、東京・六本木において急遽開かれた記者会見、沈痛な表情で朝倉海(トライフォース赤坂)はそう話した。

7月17日に東京・六本木で開かれた記者会見で朝倉海の『超RIZIN.2』欠場が発表された。左は榊原信行RIZIN CEO(写真:RIZIN FF)
7月17日に東京・六本木で開かれた記者会見で朝倉海の『超RIZIN.2』欠場が発表された。左は榊原信行RIZIN CEO(写真:RIZIN FF)

『超RIZIN.2』を13日後に控えての、主役欠場発表。朝倉海は左ヒザを負傷してしまった。

これにより、『超RIZIN.2』でのバンタム級王座決定戦、朝倉海vs.フアン・アーチュレッタ(米国)は消滅。朝倉の代役として扇久保博正(パラエストラ松戸)が、アーチュレッタとベルトをかけて闘うことになった。

一体、何が起こったのか?

代役は扇久保博正

アクシデントは、7月4日のスパーリング中に生じた。

組み合った状態から相手を投げようとした時に、朝倉はバランスを崩し左ヒザを捻った。その直後に相手のカラダが朝倉の左足に覆いかぶさる。激痛が走った。病院に直行すると、左ヒザ内側側副靭帯損傷、全治6~8週間と診断される。

「頭の中が真っ白になった」と彼は振り返る。

すぐにRIZINサイドに連絡。この時点で試合出場は無理だった。それでも朝倉は、負傷した左ヒザを何とか治せないものかと奔走する。PRP注射を打ち、酸素カプセルに入り続け、さまざまな治療を行うもやはり回復しない。

結局、12日に榊原信行RIZIN CEOと話し合い欠場の決断をした。

その前日、11日に榊原CEOは扇久保に電話をかけている。事情を話し「海が出られないなら、アーチュレッタと闘って欲しい」とオファーする。

「やります!」

扇久保は、そう即答した。

「僕は5年前に、堀口恭司選手と闘う機会を求めてRIZINに参戦しました。でも、その後も闘い続ける中で、RIZINに温かく育ててもらったという気持ちを強く抱くようになった。この状況で(オファーを)断る理由はありません」

17日の記者会見に姿を見せた彼は、そうも話した。

記者会見に出席し「RIZINのベルトは俺が守る!」と決意表明をした扇久保博正(写真:RIZIN FF)
記者会見に出席し「RIZINのベルトは俺が守る!」と決意表明をした扇久保博正(写真:RIZIN FF)

フライ級転向以降、扇久保は2連敗中。それでも一昨年の大晦日に朝倉海を判定で破り『RIZIN JAPAN GPバンタム級トーナメント』優勝を果たしている。また、バンタム級の上位ファイターである井上直樹(セラ・ロンゴ・ファイトチーム)、元谷友貴(フリー/現ATT)に勝利した実績もある。

朝倉が出られないなら、代役は扇久保以外に考えられなかったであろう。

ただ、この試合の予想をすれば「9.5対0.5」でアーチュレッタが優位だ。打・投・極の総合力で闘うタイプ同士だが、実績では明らかにアーチュレッタが上位。また二人は7年前に短くない期間ともに練習したこともあり、手の内を知り合っている。ならば準備期間も十分ではない扇久保は「奇策」を企て、それに賭けるしかなく不利は否めない。

また、この試合でアーチュレッタが勝利し腰にベルトを巻いた場合、大晦日に日本のリングで初防衛戦を行う約束がRIZINと(アーチュレッタが契約している)BELLATORの間で交わされている。

負傷した左ヒザの回復次第だが、大晦日に朝倉海が王座に挑む可能性は高い。

<『超RIZIN.2』主要対戦カード>

上記のカードを含めBELLATORパート5試合、RIZINパート7試合の計12試合が予定されている(提供:RIZIN FF)
上記のカードを含めBELLATORパート5試合、RIZINパート7試合の計12試合が予定されている(提供:RIZIN FF)

スポーツジャーナリスト

1967年1月26日生まれ、三重県松阪市出身。上智大学文学部在学中から『週刊ゴング』誌の記者となり、その後『ゴング格闘技』編集長を務める。タイ、インドなどアジア諸国を放浪、米国生活を経てスポーツジャーナリストとして独立。プロスポーツから学校体育の現場まで幅広く取材・執筆活動を展開、テレビ、ラジオのコメンテーターとしても活躍している。『グレイシー一族の真実』(文藝春秋)、『プロレスが死んだ日。』(集英社インターナショナル)、『情熱のサイドスロー~小林繁物語~』(竹書房)、『伝説のオリンピックランナー”いだてん”金栗四三』、『柔道の父、体育の父  嘉納治五郎』(ともに汐文社)ほか著書多数。

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