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「負けたら死、終わりです」K-1武尊、那須川天心と世紀の決戦すべて語る──。

近藤隆夫スポーツジャーナリスト
那須川天心戦への熱い想いを語った武尊(撮影:矢内耕平)

「世紀の対決」那須川天心vs.武尊──。

6月19日、東京ドームで格闘技イベント『THE MATCH 2022』が行われる。

所属団体が違うなどの理由で実現不可能と思われた立ち技格闘技の頂上対決ゆえに、すでにチケットは完売状態。格闘技ファンのみならず、広く注目が集まる闘いだ。決戦に向けて激しいトレーニングを続けるK-1王者・武尊に、現在の心境を聞いた。

「逃げている」と言われ続けて

──昨年のクリスマスイブ、那須川天心選手との試合が正式発表されました。以降、武尊選手の中で大きな変化はありましたか?

武尊 大きく変わったのは、世間の声です。ここ6、7年はずっと誹謗中傷を受け続けてきましたから。なかなか自分の思いが伝えられない状況の中で、「K-1と武尊が逃げている」とずっと言われてきたので、それを覆したい気持ちがずっとありました。だから今回の試合を早く実現させたかった。

正式発表以降、「逃げている」という世間の声がなくなったのは、大きな変化ですね。

──試合が正式に決まったことでスッキリした部分もありますか?

武尊 そうですね。決まるまでは、試合を実現させるために労力を使っていました。でもいまは、試合に向けての練習に集中できています。格闘家として生きている感じがします。

以前は、悔しくて仕方なかった。自分より強いと言われているのが許せなかった。

強い海外のチャンピオンを倒しても、次の日には「でも天心から逃げている」とたたかれる。何をやっても格闘家として生きている実感が湧かなかったんです。だから、どうしても(那須川天心との試合を)実現させるという気持ちは持ち続けていました。

昨年のクリスマスイブに「世紀の一戦」が正式発表された。会見後、壇上で並んだ那須川天心(左)と武尊(写真:K-1)
昨年のクリスマスイブに「世紀の一戦」が正式発表された。会見後、壇上で並んだ那須川天心(左)と武尊(写真:K-1)

──企画書を作り、それを持参してテレビ局等に働きかけたとも聞きました。

武尊 はい。4、5年前から動きました。何もしなかったら実現しない空気が漂っていたので、自分で動くしかないと思ったんです。

──でも、その頃は「武尊は逃げている」と世間からは言われ続けていました。

武尊 耐えるしかなかったですね。試合を実現させたら皆がわかってくれると信じて。

でも、きつかったです。あの頃はSNSを見るのも嫌だったし、応援してくれている人に会うのも億劫でした。「いつ天心とやるんだ」みたいなことをずっと言われるんですよ。

メンタル的にキャパオーバーになって、テレビの仕事にも行けない状態が続いたんです。

──もっともひどかった時期は、いつ頃だったのでしょう。

武尊 大阪で皇治選手と闘った時(2018年12月)です。ただでさえプレッシャーがかかるタイトルマッチなのに気持ち的に限界に近い状況でリングに上がりました。

ちょうど向こう(那須川天心)は、フロイド・メイウェザーと試合をする頃。

「天心は、世界のメイウェザーとやるのに、おまえは何をやっているんだ」みたいなことを言われていましたから。SNSでの誹謗中傷を、かなり浴びましたね。でも、いまはもう大丈夫です。

(撮影:矢内耕平)
(撮影:矢内耕平)

──「俺は那須川天心から逃げていない」「対戦実現に向けて、こんなに動いているんだ」と世間に話してもよかったのでは。

武尊 言えないこともいろいろありました。そんな時に僕が世間に話して、それが挑発的に受け止められたなら余計に溝ができ、実現できなくなってしまう。だから、実現のために耐えるしかないと思いました。

──本当に那須川天心選手と闘いたいなら、K-1を離れるという選択肢もあったのでは。

武尊 それは違うと思います。それをやると格闘技界全体のイメージを悪くしてしまいます。K-1が悪く思われるのは絶対に嫌だったし、その後の格闘技界の発展にもつながらない。

もし僕がK-1を抜けることで、今回の試合が実現していたら一旦は盛り上がっても、その後のダメージは計り知れないと思います。逆(那須川天心がK-1のリングに上がった場合)も同じでしょう。そういうことはしたくなかった。だから「無理だ」と言われ続けても中立な舞台にこだわったんです。

それに今回の試合は、格闘技界を高めていくものにしないと意味がない。アンダーカードでも、両団体(K-1とRISE)のチャンピオン同士の対決があります。この大会で団体間の壁が取り払われ風通しが良くなり、多くの人に格闘技の素晴らしさを知ってもらいたい。

K-1 WORLD GP史上初の3階級制覇王者である武尊は、約10年間負け知らずで35連勝中(写真:K-1)
K-1 WORLD GP史上初の3階級制覇王者である武尊は、約10年間負け知らずで35連勝中(写真:K-1)

「負けたら引退」その真意とは

──対戦発表記者会見では、「完全決着をつけたい、無制限ラウンドで闘いたい」と話していました。しかし、3分×3ラウンド(延長1ラウンド)に決まり、要望は受け入れられなかった。

武尊 僕としては、どちらかが倒れて、どちらかが立っている形で決着をつけたい。だから、あのように希望したのですが、もう決まったことなので、その(ルールの)中で勝てるように闘います。

──契約体重が前日計量での58キロ、さらに当日にも計量し62キロを超えてはならないという設定は、武尊選手にとってかなり厳しいようにも思います。

武尊 これも仕方ないです。試合を実現させることが大切ですから。

ただ、「きついな」とは思っています。

僕は、脂肪を落とし水分を抜いて60キロのカラダなんですよ。そこから2キロ落とすとなると、筋肉を削っていくしかない。カラダごと小さくしないと落ちないんです。いま、その作業をやっているところですね。

──練習も、かなり追い込んでいますね。

武尊 去年の7月くらいから、ずっと続けてやっています。もともと12月に闘うことを想定していましたから約10カ月、追い込んできた感じです。オフも入れながらですが、カラダを休め過ぎると体重が増え体力も落ちます。ただ、精神面も考慮し、合宿をしたりして環境を変えて練習に取り組んできました。このまま、追い込んだ練習を試合の1週間前まで続けるつもりです。

(撮影:矢内耕平)
(撮影:矢内耕平)

──那須川天心選手との試合は、どんな展開になるとイメージされていますか? 激しい打ち合いになると思いますか?

武尊 いろいろなパターンを考えてはいます。これまでも、さまざまなタイプの選手と闘ってきましたが、噛み合わずに終わることはほとんどなかった。強引にでも自分の闘いに持っていくつもりでいます。それ以上は、ここでは言えません。

──「負けたら引退」とこれまで言われていました。那須川天心選手との試合に勝った後、あるいは負けた後のことを考えることはありますか?

武尊 勝つことしか考えていません。再戦もないです。一回だけだから価値がある。

試合に負けたら引退というのは、デビューしてからずっと思っていること。僕にとって試合は命のやりとり。負けたら死で、そこで終わりです。これは変わりません。

──最後に、武尊選手にとって那須川天心選手とは?

武尊 格闘技の天才。才能の塊です。そうじゃないと、あそこまで能力を発揮した闘いはできない。

僕は、自分のことを天才だとは思わない。小さい頃にテレビでK-1を観てアンディ・フグさんに憧れカラテを始めました。でも、試合に出ても負け続けました。身体能力テストでもズバ抜けた結果が出るわけではなく平均レベル。そんな僕でも気持ちを強く持ち、格闘技に取り組み続けることでK-1のチャンピオンになれました。

天才でなく凡人というか普通の人間だからこそ強くなれた。今回、僕が勝つことでその強さを世間の人に見せられる。必ず勝ちます。

(撮影:矢内耕平)
(撮影:矢内耕平)

■武尊(たける)

1991年7月29日生まれ、鳥取県米子市出身。

闘争本能むき出しのファイトスタイルから「ナチュラル・ボーン・クラッシャー」と呼ばれる、K-1のカリスマ。

2011年9月24日に立ち技格闘技イベント「Krush」でプロデビュー。2014年11月、新生K-1の旗揚げ戦で大雅にKO勝ち。2015年4月、初代K-1スーパー・バンタム級王座決定トーナメント、2016年11月に初代K-1フェザー級王座決定トーナメントを制して2階級制覇達成。さらに、2018年3月には第4代K-1スーパー・フェザー級王座決定トーナメントで優勝し、K-1史上初の3階級制覇を成し遂げた。

2022年6月19日に東京ドームで行われる格闘技イベント「THE MATCH 2022」で、RISE王者・那須川天心と対戦する。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】

スポーツジャーナリスト

1967年1月26日生まれ、三重県松阪市出身。上智大学文学部在学中から『週刊ゴング』誌の記者となり、その後『ゴング格闘技』編集長を務める。タイ、インドなどアジア諸国を放浪、米国生活を経てスポーツジャーナリストとして独立。プロスポーツから学校体育の現場まで幅広く取材・執筆活動を展開、テレビ、ラジオのコメンテーターとしても活躍している。『グレイシー一族の真実』(文藝春秋)、『プロレスが死んだ日。』(集英社インターナショナル)、『情熱のサイドスロー~小林繁物語~』(竹書房)、『伝説のオリンピックランナー”いだてん”金栗四三』、『柔道の父、体育の父  嘉納治五郎』(ともに汐文社)ほか著書多数。

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